2007年03月09日

3月8日NHK報道のクローズアップ現代に寄せて

3月8日のNHK報道のクローズアップ現代についてもの申す。

 同日夕刻、NHK番組アレルギー診療の最前線を見ましたが、日本でアレルギーに悩む人々(4千万人を超えると報道)にとっては実験段階の治療法ではなく今すぐに治癒可能で必要な根本的治療法を国民に知らせるのが報道機関の使命ではないですか?
今実験段階にある(患者をモルモット扱いにしているともいえる)治療法は二の次にしてください。我々は今アレルギーに苦しんでおりそれを改善する根本的治療法を求めているのです。その治療法は欧米では既に90年前に始まり50年以上前に確立しており、1998年には国連の世界保健機関(WHO)がアレルギーの根本治療法と認定しています。アレルギー免疫療法であります。日本だけがこれを国民レベルで実施していないのです。我々は、日本が一刻も早くこれを導入するよう学会、報道各社に訴えてきていますが我々の声は未だに届いていません。何とかNHKに今一度お願いいたします。先進国の中で日本だけがアレルギーの根本治療法を国民レベルで実施していません。それは「徹底した」減感作療法です。それを今日本で行っている医師はただ一人東京世田谷区所在の久我山病院アレルギー科の長屋宏医師だけです。この医師は患者のアレルギー反応を示すアレルゲンを皮膚テストによって明らかにし(多い場合は20~40ある)、これらを減感作注射する方法でこれまでの16年間に他の主要なアレルギー専門医療機関(同愛記念病院を含む)で治せなかった幾多の重篤な喘息患者を含む1500名以上のアレルギー患者を健常者にまで治してきているという実績を上げています。我々はこれを「長屋式減感作療法」と呼んでいますがそれは米国で行われているアレルギー免疫療法をさらに進化させた治療法だからです。日本の医学界はこの治療法を無視してきているのではないかとさえ思われます。現在日本のいくつかの大学、研究所で行われている減感作療法はハウスダスト、数種類の花粉などに限られているためその効果がほとんどなくその為に「減感作療法は効かない」というのが日本の定説になっています。また、報道にあった舌下減感作は喘息には危険を伴いアメリカではほとんど行われていません。報道内容の信憑性に疑問が残ります。日本の減感作療法は50年前(1958年)に日本で始めて行ったときの方法が今でも行われているため前記の定説が一般的になっているのではないかと思われます。日本では今でも50年前の治療法が行われ続けている間に海外では、その後この治療法はアメリカを始めとして日進月歩を遂げ、現在では日本を除く先進国でアレルギー免疫療法(減感作療法の今日の呼び名)として確立・普及するに至っています。アメリカなどでは「アレルギー=減感作療法で治すもの」というのが常識になっています。私は嘗て重篤な喘息患者でありましたが、この治療法のおかげで普通人としての生活をとり戻すことができ、現在はこの治療法の日本での普及を心底から願っている者の一人であります。どうか、「徹底した」減感作療法の普及によりアレルギーに苦しむ4千万人に実験診療ではない通常診療としての臨床体制樹立を目指して報道機関にもご尽力をお願いいたします。
                 久我山アレルギー患者の会
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2007年03月02日

体験談5−15年間片道3時間の通院時間をかけて

減感作療法による私のぜんそく治療体験

                                 男性 70歳

 私は減感作療法は、月日のかかる治療法ではないかと思っております。現在は長屋宏先生の治療を受けてから15年間は、点滴、入退院、駆け込みもなく、坂道、階段、また足早に歩けるようになり、普通の生活が出来るようになり治療効果が上っていると思います。

 最初に体験したのは、勤務先の帰宅途中のことでした。運転中、突然激しい咳、痰、呼吸の苦しさに襲われ、運転が出来なくなり、運良く目の前に病院を見つけ、診察をしてもらった結果、気管支喘息と診断され、即入院となりました。点滴、のみ薬(7種類位)を服用し、15日位で退院しましたが、3ヶ月後に発作を起こし、点滴後、楽になりましたが、それ以後発作の回数が多くなり、薬の知識もなく不安に感じていたところ、TBSテレビ「ニュースの森」で減感作療法を知りました。さっそく予約を取ってから、3ヶ月後に長屋宏先生に面会し減感作療法の説明を受け、125種類の皮膚テストを受けた結果、かなりのアレルギー反応が出て驚きました。現在も治療を行っていますが、通院に片道3時間もかかり近くに治療が受けられる病院がないのが残念です。現在は風邪を引いても、くしゃみ、鼻水などの症状も少なくなり楽にすごしております。
 以上、私の体験談と致しますと共に長屋宏先生には深く感謝致しております。
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2007年02月24日

体験記4−死から蘇って

                       30歳代 主婦(東京都世田谷区主婦)

 私が喘息になったのは、中学2年の冬でした。当時は福岡県北九州市に住んでいました。
その時は風邪を引いて肺炎になりかけたのですが、初めて苦しい発作を経験しました。まずセキが止まらず、呼吸がうまくできず、食事も、歩くこと・寝ることも、横になることもできず、ただただ苦しくて苦しくて、自分でもどうしてよいのかわからず、涙が止まらなかったことを覚えています。親も初めての経験なので、どうしてよいのかわからず、とまどっていました。次の日、歩くことも困難でしたが、病院に行き、気管支喘息と診断されました。病院で点滴・吸入をしたら、少し楽になりました。それからは風邪を引いた時や季節の変わり目に発作が起きるようになりました。
 発作が出た時は、かかりつけの病院で薬をもらい、吸入・点滴をしてもらっていました。その当時は年に3,4回発作が起こるくらいでした。
 19歳の頃、仕事が変わり、精神的なものもあり、睡眠時間があまりとれず、ハードな生活が続いていたのですが、その頃、毎日のように発作が起きるようになりました。仕事が終わった後の電車の中で発作が起きて、そのまま夜間、病院に行ったり、毎朝点滴を受けてから仕事に行ったりしていました。はじめて入院をしたのもこの頃でした。それからは4,5回、入・退院を繰り返しました。ステロイドの副作用のせいで体重も増え、顔がパンパンになった時もありました。その頃、喘息体操をしたり、漢方薬を飲んだり、家で猫を飼っていたので家を出て部屋を借りて住んだりと、喘息についていろいろと勉強し試してみました。(薬ももう飲まなくてよくなりました)。親にもかなり心配、迷惑をかけました。それからは調子も良くなり、前のように年に3、4回発作が起きる程度でした。でも、前よりは呼吸の仕方や楽な姿勢がわかるようになったので、気持ち的にも楽になりました。
 22歳の時、仕事で福岡から東京に行くことになりました。23歳で結婚し妊娠。その頃は年に何度か軽い発作が起きる程度でした。そのまま東京で暮らすことになったのですが、仕事を辞め1日中家にいるようになってからは、毎日毎日自分の家族、友達、生まれ育った町のことを思い出しては泣いていました。マタニティーブルーだったこともあるのでしょうが、とにかくひどいホームシックにかかっていました。そんな精神状態だったからか食事もほとんどとれず、妊娠しているのにあまり体重が増えませんでした。
出産のため福岡の実家に帰り、無事、発作も起こらず、2,422.8gとやはり小さかったのですが、元気な女の子を出産しました。
 退院して実家にもどって1週間くらいしてからセキが出るようになりました。「風邪を引いたのかな?」と思っていたのですが、変な苦しいセキがずっと続くのでおかしいと思い病院に行ったら、喘息と診断されました。久しぶりの喘息だったのでその苦しさを忘れていて、「これが喘息だったの?」とびっくりしました。それからは日に日に悪くなり、とにかくセキがひどく声が出なくなるほどでした。
実家から東京に戻ってもそのセキは毎日続きっぱなし。主人の友人に喘息専門の病院を紹介してもらい、家からは遠い場所だったのですが、毎週義父が車で連れて行ってくれました。
子どもが生後4、5ヶ月の頃、急にはげしい発作が起きて夜に救急病院に行き、ボスミンを打ってもらい、点滴を受けて落ち着きましたが、何ヶ月もこの状態が続いているようなら入院しなさいと言われ、すぐ入院しました。それからは、退院しては発作が起きて毎日点滴を受けに行き、夜中も発作が起きれば注射、点滴、吸入の繰り返し。そしてまた喘息がひどくなってきて、5、6回入退院を繰り返しました。毎日セキ、発作が起き、普通の生活どころか子どもの世話もできないくらいでした。
 その頃、喘息にいいと聞けば何でも飛びついていました。「あそこの病院がいいよ。」と聞けばそこに行き、漢方薬、健康食品、はり、お灸、その他いろいろありますが、1つの物、場所でなく、何でも試しました。中には怪しいものもありましたが、藁にもすがる思いでした。家では主人が取り付けてくれた酸素を毎日夜にして寝ていました、
ステロイドを飲み始めると、少しは呼吸も落ち着き、普通の生活も送れるようになりました。けれどもセキは毎日出ていて、呼吸が「ヒューヒュー」といっていました。
 2年くらいステロイドを飲み続けていた頃、2人目の子どもがほしいと当時の先生に相談しました。「じゃあステロイドを止めよう」と言われその日からステロイドを止めることになりました。その後は日が経つにつれて調子が悪くなり、セキが止まらない、息はできない、食事はできないという状態でした。1,2ヶ月経った夜、急に息ができなくなり、いつもの発作と違うと思い、主人にすぐ行きつけの救急病院に連れて行ってもらいました。そこには若い整形外科の先生しかおられなくて「あまり強い薬は使えない。」と注射はしてもらえず、とにかく吸入、点滴をしてもらいましたが良くならず、その先生に「これ以上わからない」と言われ、待合室で待たされていました。息もできず座っているのもとてもつらかったです。そんな時、主治医の先生がたまたま忘れ物を取りに病院に戻ってきたところ、私に気付いて診てくれることになりました。そして注射、点滴をやってくれました。それで前よりは少し良くなったもののまだまだ息苦しさは変わらず、点滴をしながら疲れてきてぐったりとなっていました。点滴の2本目が終わった頃、息ができなくて苦しく、だんだん意識がなくなり、スーッと逆に気持ちが良くなり、周りが真っ暗というより黄色で明るかった気がします。「あっ、これは死ぬな。」と感じました。主人、子ども、親、友達、それまでの26年間の全てのことを早送りで思い出しました。それからは全く記憶がなく、後で聞いたのですが、呼吸が止まり、先生、看護師さんたちがあわてていて、それを待合室で見ていた主人は何が起きたのか、その状況を見て足ががくがくして震えが止まらなかったと言っていました。先生に「2,3日もつか…。会わせたい人にすぐ連絡してください。」と言われたそうです。私の母も福岡からすぐ来てくれました。
 気がつくと私は重病人の患者の部屋に入り、人工呼吸器を付けていました。2、3日経つと、主人は先生から「回復に向かっているので安心していい。」と言われたそうです。先生、看護師さんも驚いていて「奇跡だ」とおっしゃっていたそうです。1週間は薬で眠っていたのですが、目が覚めて私はびっくりしました。まず「生きている」と感じ、となりには主人がいて、先生、看護師さんにやさしい笑顔で言葉をかけてもらい、私は助かったんだな、と実感しました。まだ話をすることもできなかったのですが、話したい事、聞きたい事がたくさんありました。自分では夜、病院に行って点滴してもらってからは記憶がなかったで…。(あとで先生に聞くと1度は心停止したそうです。)
それからはだんだん回復し、3週間ほどで退院することができました。退院後は、ステロイドを飲み続けたほか、他の薬も飲み、1週間に1度病院に点滴をしていました。ある日、私の担当医が他の病院にお移りになると聞きました。そこは家から遠い場所で、通院することはできませんでした。悩んでいた時、義父から久我山に喘息専門の有名な先生がおられるらしい、と聞きました。義父はタクシーの運転手なので、いろいろな噂を聞いていたのです。良いきっかけだと思い、これまでの病院に通うのは止め、久我山病院アレルギー科の長屋宏先生に電話をし、予約しました。
 長屋先生に初めてお会いした当日は、それまでのことを話し、当時飲んでいた薬をお見せしました。長屋先生がすごく怒っておられたのを覚えています。まず2年近く飲んでいたステロイドを急に止めたこと、そんなことをすれば症状がひどくなるのは当たり前だと言われました。痰を抑える薬も飲んでいたのですが、痰は出さないといけないのに、そんなことをしたら痰が切れないでしょう、と言われました。
 それからは長屋先生の御指導の下、週に2、3回、減感作の注射を受けるため久我山病院に通いました。減感作の注射を打つようになってからは、日に日に自分の体調が良くなっているのがわかりました。それまでは毎日セキが出て、話をする時もゼーゼー、ヒューヒューと喉が鳴っていたのに、セキも出なくなり、楽に呼吸ができるようになりました。とにかく安心して毎日を過ごすことができるなんて本当に幸せです。
長屋先生に初めて診てもらってから9、10年経ちましたが、その間発作が起きて夜に病院に行ったことは1度もありません。大きな発作が起きたこともありません。年に2回の衣替えの季節に呼吸が苦しくなることはありますが、吸入すれば治まるようになりました。
 今までは喘息のせいで、特に出産後はひどく毎日が苦しく不安で、家族のみんなに不安をかけていました。けれども長屋先生に出会ってからは、そんな苦しい思いをしていたのがまるで嘘のようです。ステロイドも少しずつ減らし、2、3年で止めることができました。平成16年7月に無事に待望の2人目を出産することができました。もっと早く長屋先生に診て頂ければよかったとは思いますが、これからも長屋先生の下に通って治療を続けていきたいです。
 今はアレルギーの方がすごく多い時代です。喘息で苦しんでいる人は大勢いらっしゃると思います。1人でも多くの方にこの減感作療法という治療法をお教えしたいです。
知り合いで喘息の方を聞いて2人ほど長屋先生に紹介しましたが、2人とも嘘のように良くなったと喜んでいました。
最後に、7年間も一緒に私の病気とたたかってくれた主人と主人の家族、私の両親にありがとうを言いたいです。面倒を見てやれなかった子どもへ、ゴメンネ。
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2007年02月22日

久我山アレルギー患者の会/久我山病院康和会会談議事録の詳細

標記の件、以下の通りです。
                 久我山アレルギー患者の会

久我山病院との面談 議事録(一問一答)

日時:  平成19年2月19日(月)午後7:30〜8:30
場所:  久我山病院3階会議室
出席者: 病院側 社会福祉法人康和会 理事長 
         久我山病院 総務部長 
     医師側 久我山病院アレルギー科 長屋医師  
     患者側 久我山アレルギー患者の会
          A,B,C,D,E

発言内容
(理事長)新患受付を再開していい。
(長屋)05年12月に当時の総務部長より私に対し、近年患者数が減少し私も高齢なので、診療日数を減らしたらどうか、アレルギー科は赤字幅が大きいので、診療日数を減らして赤字を縮小したい、という申し出があった。それで06年4月から診療日数の削減・新患受付の停止という結果になった。すると(06年度に)患者数が減ったので、さらに診療日を減らしたいといわれた。
 06年度に耳鼻咽喉科にかかっていた78歳の女性が、明らかにアレルギー症状を起こしており私としては治して差し上げたかったが、アレルギーが新患を停止しているため不可能だった。私としては見るに忍びない出来事だった。一切の例外を設けないのはおかしい、新患を取らないのはおかしいと感じた。地域医療の中核たる当病院がこんなことでいいのかと思った。
今回の新患再開は大きな進歩だと感じる。
(理事長)どのくらいの新患を取る考えなのか、6コマのうちのどこかに固定するお考えな
のかを伺いたい。
(長屋)私としてはできる限りの新患を取りたい。
昨年、私は日本アレルギー学会の専門部会の研究推進委員(委員長は東大教授で委員長の専門はリウマチ)になった。これから委員会を通じて減感作療法を推進していきたい。日本では、医学部教授でさえも減感作療法を教えることが可能な人がいない。これから委員会を通じて提案し志ある人に教えていきたい。
 なお日本では舌下減感作の研究がなされている。これはWHOも認めている治療法だが、喘息に効かない。(舌下減感作を行っている)日本医大の某先生も喘息患者をとらない。また舌下減感作には、これを行なってむせたら喘息を引き起こすという危険がある。
(理事長)新患診療の日を特定の日に決めてほしい。
(長屋)当面(昨年6月までと同様)水曜午前にしたいが、また(後継者を教える際の)状況を見て考えたい。
(理事長)3月から新患を受け入れることに決定する。
(長屋)(帰国後最初の水曜の)3月7日は通常診療があるので、3月14日から新患を受け付けたい。
(理事長)それでかまわない。長屋医師の07年度の契約締結は帰国してからでよい。ただ(減感作の)診療報酬の再評価をアレルギー学会に要求すべき。(ここで理事長より再評価申請のための関係書類を手交)
(患者A)アレルギー科は患者の待ち時間が長く、医師の昼食時間もないほど職場環境が劣悪。改善が必要だと思う。長屋医師を助けるための医師が必要。医師の失業者を探したらどうか。
(理事長)医師の失業者は聞いたことがない。
診療報酬の再評価のためには申請が必要となる。今年の6月29日がタイム・リミット。これを逃すと今後は2年後になってしまうので御注意が必要。なお再評価申請は医師しか行う資格がない。
(患者B)診療場所が縮小されるとのことだが、具体的な予定を聞きたい。
(理事長)診療場所は今の2階のままだが、(今3個ある)ベッドを1つにしたいと考えている。
実はある科を閉鎖する予定で、その後地を秋口から会議室兼保健室のような多目的スペースにしてアレルギー患者の時間待ち場所にすることも考えている。工事を夜間にするなどして診療に支障をきたさないよう配慮する。
(患者一同)新患受付を再開して頂いたことに感謝したい。

                                   以 上


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久我山病院康和会のご理解を得て

久我山病院アレルギー科患者の皆様

本年2月19日(月)、久我山病院側と「久我山アレルギー患者の会」患者7名との間で
再度の話し合いが行われ、下記の通り合意に至りましたので、御報告申し上げます。

1、本年3月14日(水)午前より新患受付を再開する。新患の診療日は当面水曜午前
とする。
2、通常の外来診療も、水曜午前を除き現状のまま継続する。ただし3月7日(水)午前
は通常の外来診療を行う。

したがいまして、アレルギー科の外来診療は、長屋医師の帰国後、3月2日(金)からこれまで通り行われます。本件に関しまして、多くの方々にご協力を賜り誠に有難うございました。

             
                                                       以 上

                 久我山アレルギー患者の会

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久我山病院康和会理事長と和解成立

 久我山アレルギー患者の会は、久我山病院とのこれまでの経緯については本ブログでも既にご報告いたして参りましたが、2007年2月16日久我山病院康和会理事長との初めての会談を持つことができました。その後、合意、決裂、プラカードによる抗議などの紆余曲折を経て、また最終的には久我山病院康和会理事長の前向きなご理解を得て、2月19日、以下のような合意に達することができました。我々当事者一同、皆様のご支援に衷心より感謝申し上げますとともに、現在頼る当てもなく苦しんでおられるアレルギー患者の皆様にいつでも久我山病院で長屋宏医師は76歳になってもなお矍鑠(かくしゃく)として世界一の減感作療法(正確にはアレルギー特殊的免疫療法)を施していただけることをお約束できることになりました。日本の医学界は一刻も早くこの世界に誇れる治療法の後継者を育成すべきであり、このことを声を大にして叫びたいと思います。

合意事項
1.本年3月14日(水)午前より新患の受付または診療を再開する。新患の診療日は当面水曜日の午前とするが、状況により変更もありうる。
2.通常の外来診療も、水曜午前を除き現状のまま継続する。ただし長屋医師と患者間の話し合いに基づく変更・縮小はありうる。
                           以上
                 久我山アレルギー患者の会
ラベル:より
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2007年02月18日

久我山病院康和会理事長との会談議事録

久我山病院康和会理事長との会談の結果をご報告いたします。
我々は長屋宏医師の受診の機会の危機に瀕しております。皆様のご支援を衷心よりお願いいたします。
久我山病院との面談 議事録

日時:  平成19年2月16日(金)午後1:00〜2:00
場所:  久我山病院3階応接室
出席者: 病院側 社会福祉法人康和会 理事長 氏
         久我山病院 総務部長 氏   
     患者側 久我山アレルギー患者の会
          発起人 A
           同  B
           同  C


患者側からの要望内容
1、 久我山病院アレルギー科のお蔭で、我々患者は、気管支喘息、小児喘息、花粉症、
アトピー性皮膚炎等各種アレルギー病から解放され、健康を回復することができた。
この点、病院側に謝意を表したい。久我山病院アレルギー科の長屋宏医師は、日本の
みならず世界でもトップクラスの医療技術を持っている。このような高度な医療を廉
価で提供していただいていることにも感謝する。
   しかしながら昨年4月以降、診療日が削減され新患受付が停止された。その意図を
伺いたい。
2、 長屋医師が最先端のアレルギー治療を行っていることは学会でも認められつつある
(日本アレルギー学会の研究推進委員に選任された)。しかしながら同医師は高齢であり、
長屋式減感作療法を行う後継者が必要である。我々患者も厚生労働省に陳情に赴く等
して努力しているので、貴院にも助力願いたい。
3、 昨年4月アレルギー科が縮小された際143名の患者が診療体制を元に戻すよう署名
活動を行ったが、貴院からの回答がなかった。患者と病院側との密なるコミュミケー
ションをお願いしたい。

病院側の回答
 1、長屋医師が治療を続ける意思のある限り、アレルギー科は存続させるのが病院側の経営方針である。
 2、アレルギー科では、患者の入院がなく、外来診療だけとなっている。そのため病院側としては収入単価が低く、経営にとって負担が重くなっている。また長屋医師の後継者がいないという問題もある。それが昨年に新患受付を停止し、診療日を削減した
理由である。
3、減感作療法は保険既収載技術となっているため高い診療報酬が与えられないのが、患者から報酬を得られない理由となっている。長屋医師の医療技術が評価される必要
がある。
4、患者とのコミュニケーション不足については、昨年7月の総務部長交代に伴う行き違いがあった。

患者側は、以上を聞いた上で、たとえ経営上の問題があっても、今日この日にも長屋式減感作療法を受けることができないため喘息発作等に苦しめられている患者がいるこ
と、過去の例からみると新患を取ったからといって必ずしも患者数が増えはしなかったことを指摘して、新患受付の停止の撤回を求めた。また長屋医師の後継者探しについての助力を求めた。
しかし病院側から返答は得られなかった。

従って、本面談ではアレルギー科を存続させること以外、何ら合意には至らなかった。

以 上
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2007年02月12日

久我山病院庚和会理事長へ催促状発送

2007年1月25日発送の書簡に対して今日に至るまで何らの返答がないので久我山アレルギー患者の会では庚和会理事長に対して以下の催促状を出状した。
平成19年2月9日

〒157−0061
東京都世田谷区北烏山2丁目14番20号
社会福祉法人康和会 理事長殿  


前略 
私共は多数の久我山病院アレルギー患者の信任を受け、「久我山アレルギー患者の会」の発起人を共同で拝命しております。
貴殿に対する要望は、本年1月25日付の発起人よりの書簡(以下、「書簡」と略称します)において披瀝した通りであります。しかし、貴殿は書簡を受領されて本日に至るまで2週間が経過したにもかかわらず、何のご返答も私共は戴いておりません。このように貴殿が書簡の到達を無視するかのような態度を取っておられるのは、不誠実であると言わざるを得ず、極めて遺憾であります。
私共が「書簡」において貴殿に要望したのは、貴殿との直接の対話であります。就中、
1.昨年4月以降の診療日減少、新患受付の停止というアレルギー科に対する貴殿の施策の意図及び根拠。
2.長屋式減感作療法を縮小ないし消滅させようとする根拠。
を問うとともに、貴殿に面談して直接そのお考えを伺う機会を求めるものであります。
さらには我々アレルギー患者が救世主と仰ぐ長屋宏医師へ貴殿が伝えたとされる他の医師からの批判とそれに基づく来期における報酬半減の処分ということの真偽を是非とも貴殿からご説明願いたいと強くお願いいたします。批判をしている医師は誰であるか、その批判の根拠を我々は知りたいと思います。何故なら長屋宏医師よりもアレルギー症状改善に有効な治療をしてくださるのであれば我々としても聞かせて頂きたいからであります。これまでも貴殿は長屋宏医師に対して年齢を理由とする差別的な非難中傷をされたということも我々は耳にしており、それらの真偽およびその具体的根拠も併せて伺がわせてください。
 今日に至るまで、貴殿が私共に対して何ら返答をされず、何らの説明をされないのは合点が行きません。病院経営者が患者とのコミュミケーションを自ら放棄されるものと考えざるをえないのでしょうか。世の常識から言って不誠実とさえいえないでしょうか。医療現場において病院側と患者の間のコミュニケーションが極めて重要であることは、もはや社会常識であります。また久我山病院の理念として、患者の人格、権利、生活を尊重するとありますが、貴殿の行動はこの理念を自ら踏みにじるものと言わざるをえません。
さらに医師法第1条、及び第19条1項の精神にも悖るのではと考えますが、この点如何でしょうか。
 また私共が開設しております「久我山アレルギー患者の会」の公式ブログには連日多くのアクセスがあり、長屋式減感作療法を受けたいというアレルギーに苦しむ人々のために当会は本の出版をも計画しております。貴殿が新患の受付を停止されているのは、これらを通じて長屋式減感作療法の存在を知り関心を抱くに至ったまた今後抱くであろう世間一般の患者を困惑させるものであります。
 我々は「書簡」でも懇請致しておりますが、改めて「書簡」および本書簡で新たに付け加えさせて頂いております我々の疑念・質問に対し貴殿が誠実に対応され、我々患者に対して直接の面談によりそのお考えを知る機会を設けてくださることを切に求める次第であります。長屋宏医師は2月21日より渡米されるご予定と伺っておりますので、それ以前に貴殿への面談の期日を設定して戴けますよう切にお願い申し上げます。

                           草々
 
                  久我山アレルギー患者会
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2007年02月08日

厚生労働省へ再陳情

一昨年12月の陳情に続いて再度厚生労働省へ陳情して参りました。追って議事録および陳情結果に基づく厚労省への書面による要請をする予定ですが、取り合えず以下に今回陳情の概要を記します。
平成19年2月6日
厚生労働省に対する要望
久我山アレルギー患者の会
T.長屋式減感作療法により改善しつつある患者の体験記5例
U.昨年12月9日付陳情で要請した内容への対応はどうなったか。→添付TA,B
V。 厚生労働省に対して日本のアレルギー医療の改革の為に次の要望・提案をする。
A.前提
一.薬物による対症療法はアレルギーを一時的に抑える弥縫的な治療法に過ぎない。対症療法はアレルギーによる修復不能な呼吸気道のリモデリングを根治することはできない。
二.アレルギー免疫療法(徹底した減感作療法)は アレルギーを治せる唯一の根本治療法であることは1997年にWHOも宣言している。日本以外の先進国はすべてこの治療法を実施している。これを日本でも実施することが急務である。
B.日本で現在十分に実施されていない改革すべき具体的な項目
1.アレルギーの原因確定
アレルギーの原因を突き止めることがスタートとなる。通常複数(20〜40)あるのでそれらを出来るだけ多く網羅的に確定することが必要。(添付TB)
これは現在日本アレルギー協会を通じて米国Hollister―Stierから入手可能だが入手に3ヶ月以上もかかる上に現地価格の3倍もし、かつまた患者の実費負担になっている。政府が一括輸入して予め準備しかつ保険対象にして欲しい。
2.その確定の手段
そのためには皮膚テストが必要であること。日本の殆どの医師は血液テストしかしていない。血液テストでは小児やアレルギーになりたての患者には発見できず、見逃す可能性大。アレルギーテストは体内のIgEの有無・量を測ることだが、IgEはアレルギー反応とともに身体の外表(皮膚・呼吸気道・鼻胃腸壁など)にまずたまり、その部分に十分たまってから残りが血液中にたまってゆく。それゆえ血液中に反応が表れるほど十分なIgEがたまる以前に喘息などの重篤なアレルギー疾患を起こしていることがある。この場合は血液テストには表れないのでミス判断になる。従ってまず第一に皮膚テストをやるべきで、それによりより正確なアレルゲンの早期発見が可能になる。アレルギー学界に皮膚テストが普及するように力を入れて欲しい。
3.テスト溶液の確保
テストのためには十分なテスト溶液が必要であること。日本で入手可能なテスト溶液は限られており、これを早急にふやす必要がある。(添付TB)これを実現して欲しい。
4.注射液の確保
テストで分ったアレルゲンの減感作注射が必要であること。
そのための注射液が必要であること。→十分にない。テストはやっても治療液がない。→患者はテスト代を払わされて治療して貰えない状況(添付TB)
治療液を増やして保険対象に欲しい。とくにダニの治療液が急務。公害喘息の認定を受けた小児喘息患者の99%がダニに強度の陽性反応を示しているという臨床結果が出ている。小児喘息はダニが主原因であって公害はその悪化加速要因であることを認識してダニの減感作療法普及に努めるべき。ダニが成人・小児を問わず喘息の最大原因であることは周知の事実である。
5.安全かつ有効な減感作注射を行える医師の養成
その注射をすることの出来る医師がいなければならない。→いないと言って良いほど限られている。安全かつ有効な減感作注射を行える医師の養成に力を入れて欲しい。
6.以上につき日本アレルギー学会は何をしているか→対症療法に終始。
国民の少なくとも3割(4千万人)が何らかのアレルギーに悩んでいるという現実の中で、厚生労働省は、国民がアレルギーから解放される唯一の根本治療法であるアレルギー免疫療法(徹底した減感作療法)に目をつぶり続ける日本アレルギー学会に国民の血税を注ぎ続け、徹底した減感作療法に不可欠なテスト用・治療用エキス拡充が急務であるにもかかわらず、国民を救済すべき施策への要請を50年に亘って放置し怠り続けている。
以上を改め、早急に、50年遅れたアレルギー医療改革に着手して欲しい。
以上
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体験記3ー小児喘息から30年を経て

45才男性の体験記                         東京都 自由業(45歳)

私は京都の出身です。ぜん息を発症したのは2歳の頃でした。物心のつかない頃からぜん息発作に悩まされていました。小学校の頃は、ぜん息発作のため多くの日に登校できませんでした。発作が起きると呼吸困難に陥り、とても苦しく、こんなに苦しいのならいっそのこと死んでしまいたいとたびたび思ったのを、今でも憶えています。両親はいろいろと手を尽くしてくれましたが、あまり効果的な治療法にめぐりあうとはできませんでした。「小児ぜん息は大人になれば自然に治る」という医者の言葉だけが頼りでした。
小学校5年の時、京都市内での引越しを経験しました。それでぜん息発作の起こる回数が少し減ったように思います。しかし中学・高校生になっても、季節の変わり目や、梅雨・台風シーズンなどのじめじめした天候の日になると、必ずといってもよいほどぜん息発作は起きました。発作が起きるたびに医院に通院し経口ステロイドを服用して、発作を抑えるということを繰り返していました。また当時は鼻水がよく出る日もあったのですが、まだ花粉症という言葉もない時代で、どのように対処してよいのか分かりませんでした。
大学入学時に東京に上京しました。環境が変わったのがよかったのか、上京してからはずいぶんぜん息発作の起きる回数が減ったように思います。大学時代には発作は一年に数回で済み、いちおう落ち着いていました。
しかし、卒業・就職すると、また発作が起きる回数が増えました。今から考えると、のん気な学生生活から肉体的・精神的にストレスの激しい仕事生活に入った影響ではないかと思います。
そこで、仕事のない土曜日に大手病院に通院することにしました。そこで初めて減感作療法というものを受けました。ただしハウスダストだけの注射に止まっていました。テオフィリン系を中心とした経口の気管支拡張剤を毎日服用することにより発作を予防し、週末の土曜日にハウスダストの減感作治療を受けるというのがその大手病院の治療法でした。同病院の担当医師によれば、他に良い治療法はなく、またこの治療法を継続していれば徐々に症状は良くなるということでした。なおそのような中で27歳の時に結婚しました。
しかし上記のような治療法を続けても、あまりぜん息が快方に向かいつつあるとは思えませんでした。むしろ天候がじめじめしたり、仕事が忙しくなって疲れがたまったりするとたびたび発作が起きるようになりました。その頃にはぜん息発作のため有給休暇を取ることを余儀なくされたり、帰宅途中で呼吸が苦しくなり駅から自宅まで妻の肩にすがりながら歩いたこともあります。そこで大手病院でシオゾールという金製剤の注射を受けたり、吸入ステロイドの処方を受けたりしました。特に吸入ステロイドは、朝夜に処方されたとおりに服用しました。

しかしこれらの治療法もあまり奏功しませんでした。それどころか、数回にわたり、重い発作を起こし入院治療を余儀なくされました。時には外出許可を得て病院から勤務先に通勤したこともあります。だんだん経口ステロイドが手放せなくなり、自分で発作が起きそうだという予感がすると、先手を打ってステロイドを服用して発作が起きるのを予防したりしていました。
やがてこのままでは仕事が続けられなくなるという危惧を感じるようになり、それどころかいつ死んでもおかしくないという生命の危険すら感じるようになりました。たまたま同じ勤務先の会社で、私と同じように重いぜん息症状を抱えていたのに、ある先生の許にかかってからは急に快方に向かった方がいるという話を聞きつけ、その方にその先生を紹介していただきました。それが久我山病院の長屋宏先生だったのです。平成5年(1993年)の末、32歳の時でした。
長屋先生に多数のアレルゲンについて皮膚テストをして頂いた結果、ダニに強い陽性反応が出たほか、各種のカビ・花粉等、多数のアレルゲンについて陽性反応が出ました。長屋先生によれば、このように多くの原因物質が存在するのにハウスダストだけの減感作注射だけでは効果が乏しいのは当然であり、これら陽性反応の出たすべてのアレルゲンについてその陽性の程度に応じて減感作注射をすることが必要であり、かつそうすれば必ずぜん息はよくなる、ということでした。またこれまで用いてきた経口の気管支拡張剤や吸入ステロイドは、ぜん息発作が起きるのを予防・軽減するものであり、ぜん息を根治するためには上記のような徹底した減感作療法を行なわなければならない、という説明を受けました。
長屋先生の御説明は極めて合理的かつ明快で、その上詳細なものでした。真っ暗闇の中で急に光明が見えたような気持ちになったのを憶えています。そこで、それまで通院していた大手病院を止め、久我山病院の長屋先生のもとに通院する決断をしました。
長屋先生の下で減感作療法が始まると、たったの1ヶ月で早くもその効果を感じることができました。というのは、当時は季節の変わり目で発作の起こりやすい季節であったのに、一切ぜん息の兆候が感じられなかったからです。それ以降、毎週土曜日に通院して注射をしていただいてきましたが、それまでの30年間がまるで嘘のように何の発作も起こらなくなりました。また経口のステロイドの服用も一切必要でなくなりました。そればかりでなく、子供の頃から一貫して存在していた、初春を中心に鼻水が出るという花粉症の症状までがなくなりました。まるで魔法にかかったような気持ちでした。そしてそれとともに健康というのがどういうものなのか、その有難さを生まれて初めて実感することができました。生まれて初めて、ぜん息の恐怖に怯える必要のない、普通の人間の生活が送れるようになったのです。
以来、久我山病院に13年間にわたり通院しておりますが、その間一回もぜん息症状が起こることはなく今日まできています。また最近では毎週の通院は必要でなくなり、2週間の1回の注射でも大丈夫なまでになりました。今では自分は健康であると公言できるぐらい、自分の身体に自信が持てるようになりました。
このように30年間にわたるぜん息を治し、健康な身体に作り変えて頂いた長屋先生は、私にとってまさに命の恩人であり、どのような言葉で持って感謝すればよいのかわかりません。いくら感謝しても感謝しきれない気持ちでおります。


の修正版をここに掲載いたします。
posted by AS at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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