2008年04月28日

第14回アレルギー総会中央講演会に出席して

     第14回アレルギー週間中央講演会への感想
及び
日本アレルギー学会・厚生労働省への提言

久我山アレルギー患者の会発起人
今回の基調演説の演者は4名で、何れも現代日本におけるアレルギー疾患治療について中枢的な立場にある学者である、とのことでありました。しかし、4者いずれにも共通であったことは、アレルギーの原因を究明せずに疾患が起きるとその都度、薬物(主としてステロイド)による対症療法をするということに終始していた点であります。なぜアレルギーが起きたかの原因を究明し、そしてその原因を根本的に治癒するための治療を行うことが欠落しており、従い、根本的な治療を全員が避けているのではないか、という疑問が沸々と湧いてこざるを得なかった。
プリックテスト(スクラッチテスト)や血液テストによるアレルゲンの特定がまずはじめに行われ、特定されたアレルゲンについて免疫療法(減感作療法)による治療によって久我山アレルギー患者の会の900名を超える患者たちはこの15年間に全て快方に向かっています。一刻も早く、このような治療が日本の何処ででも可能となるよう望んで止みません。
小生が提示した、WHOがアレルギーの根本治療法と認定していると聞くアレルギー免疫療法がなぜ日本で普及しないのか、否、普及させないのか、との質問がパネルディスカッションでとりあげられました。しかし、それに対する演者の回答は、@日本にはスギ花粉以外の抗原がすくないこと、A各種の抗原の標準化に莫大な費用と時間がかかること、B減感作療法はアナフィラキシーの危険があり、且つ効果のある場合でもその治療効果に1年半から2年という長時間がかかること、C減感作療法よりも安全で効果のある吸入ステロイドが開発されていること、D減感作療法は医師にとって採算に合わない(保険点数が低い)、などという理由でアレルギー免疫療法は否定的に受け取られました。
これらについて、小生の考えは次により反駁しつつ、現在苦しんでいるアレルギー患者を一刻も早く救うべく、WHO認定の根本治療法であるアレルギー免疫療法を広めるための医療改革の実現に向けて、厚労省および医学界の勇断を求めます。
そもそも、日本ではWHOがアレルギーの根本治療法と認定しているアレルギー免疫療法の代わりに根本療法ではない対症療法としての薬物療法(吸入ステロイド)が有効な治療法として一般に普及しておりますが、この治療法はアレルギー(気道炎症)を抑えるという根本治療ではなく、彌縫的な対症療法であることを学者が理解していない乃至理解したくないと思われることに最大の問題があります。
まず、上記@の問題については、日本で抗原が少ないのは厚生労働省、医学界がこれまで抗原の開発を怠ってきたためであり、そのツケが多くのアレルギー患者が苦しむ結果となっているのです。これを即効的に解決する方法があります。それはアメリカから標準化された抗原をそっくり輸入することです。これを政府によって行い、全国に保険適用レベルで実施することです。アメリカでは既に標準化されたダニ、ネコ、イネ科の草の花粉の抗原ができており、これらによってアレルギー免疫療法が普及しております。小生は10年を超える米国滞在中ぜんそく患者としてこの恩恵に浴しておりましたが、帰国した途端にこの治療を断たれ、死の恐怖に苛まれました。さいわい、日本で唯一この治療法を行っている東京世田谷区の久我山病院を見つけることができ、その治療で健常者と変わらぬ今日の生活を取り戻しております。
政府、学者はアメリカの抗原は日本人に合うか検証が必要と言うでしょうが、これは偏狭な国粋主義的な考えに基づいた捉え方ではないでしょうか。アメリカでは多民族国家を前提とした米国民全てに適用できるものとしての標準化抗原を開発しており、小生自身、アメリカから輸入された34種類の抗原によって治療効果を得ております。ここ久我山病院のアレルギー患者はすべて長屋宏医師のもとでアメリカの標準化された抗原によって治療効果を実証しております。久我山病院ではこの治療法で過去15年間に900名を超える患者がこの治療の恩恵に浴し、この間アナフィラキシーなどのショックは一度も起きていないことをお伝えいたします。アレルギーに苦しむ患者のために一刻も早く抗原輸入を政府レベルで実施し保険適用していただきたい。日本での独自の標準化抗原の開発のための時間をかけている間にアレルギー患者は根本治療から見放され、一時的、彌縫的な薬物による対症療法に放置され続けることは日本のアレルギー学界の歴史にとって禍根を残し続けることになるということに気づいていただきたいと思います。
また、Aについては、確かに毎週2回をベースに2年、3年と治療を続けることを要する場合が多く、患者の病歴によっては8年治療を続けることによって健常者の状態を回復したという例もあります。しかしこのような長期を要するケースとは逆に、患者の中には、生まれてから40年間重篤な喘息患者であったにもかかわらず、治療を開始して1ヶ月で改善し生まれてはじめて健常者を実感したという症例もあり、必ずしも全ての患者が長期治療を要するわけではないということを強調したいと思います。いづれにしても、この治療法は、気道炎症の原因を取り除くという、今日わかっている唯一の根本治療法であるということであります。WHOがアレルギー免疫療法をアレルギーの根本治療法と認定している所以のところであります。
次にBについてですが、前述のとおり、少なくとも久我山アレルギー患者の会の900を超えるメンバーがこの16年間にアナフィラキシーを起こしたという例はないと聞いております。今回の演者の1人が舌下減感作を安全な治療法として推奨しておりましたが、むしろ、この方がアナフィラキシ−の危険が大なのではないかと思いました。なぜなら、減感作療法では微量の抗原で治療が進むのに対して、舌下減感作では一度に大量の抗原を使用すると聞いているからです。そのような危惧から、喘息患者に対しては舌下減感作を行わない人が殆んどと聞いております。
更にCについてですが、ステロイドは有効な治療法といいますが、これは一時的に気道炎症を抑えるだけで気道の過敏性の原因そのものを減殺する効果はないのではないでしょうか。標準化されたダニを使用したアレルギー免疫療法によって持続する気道の過敏性が抑制されることは、多くの研究によって既に証明されていると聞いております。(長屋宏先生の著になる「日本のアレルギー治療は50年遅れている!」参照)
 最後に、Dについては、医学会がその気になれば保険点数はいつでも改正できるのではないでしょうか。我々、アレルギーに苦しんでいる患者を薬漬けにするだけでなく、アメリカと同程度のアレルギー免疫療法という根本治療法を一刻も早く全国レベルで実現できるよう切に望みます。
 以下に私が作成した第14回アレルギー週間中央講演会の議事録を掲載いたします。

 第14回アレルギー週間中央講演会
場所 九段会館ホール
2008年2月23日

総合司会 :河野陽一先生/(財)日本アレルギー協会理事
開催挨拶 :宮本昭正先生/(財)日本アレルギー協会理事長



第一部 基調講演
基調講演T アトピー性皮膚炎の基本戦略――飯島正文先生(昭和大学医学部皮膚科教授)
“アトピー性皮膚炎をアトピー皮膚に戻そうよ!”
@アトピー性皮膚炎とは
 どんな病気 ?  なぜ起こる ?  治療方針は ?
アトピー性皮膚炎による疾患を治療して元のアトピー皮膚に戻すことが医師の仕事
今から10年前、アトピー性皮膚炎の治療では、何が問題とされていたのか
○ ステロイド外用剤は悪魔の薬!―――否
○ ステロイド拒絶症と医療不信 ―――それに便乗したアトピー商法/アトピービジネスの横行
A上原・大藤、Hanifin・Rajka、及び日本皮膚科学会の診断基準の紹介
Bアトピー性皮膚炎治療における問題点
・ アトピー性皮膚炎は「アレルギー」が全てか?
・ アトピー性皮膚炎は「バリア機能異常」が全てか?
・ アトピー性皮膚炎における「嗜癖的掻破行動」
Cアトピー性皮膚炎と角層細胞間脂質
・アトピー性皮膚炎患者の病変部皮膚では角質細胞間脂質(特にセラミド)が著明に減少している。
・アトピー性皮膚炎患者出では無疹部においても、正常コントロールと比較して角質細胞間脂質(特にセラミド)が有意に低下している。
Dアトピー性皮膚とはどんな皮膚?
 例えて言えば、鰐(出雲地方では鮫のことを鰐と言った。)を欺いて毛皮を剥がされた「いなばの白兎」状態である。
 −正常な毛皮の兎は、海水を浴びても、風に当たっても平気である。毛皮を剥がされた「いなばの白兎」にとっては、塩水も風も刺激となって苦痛である。大国主命の指示は、真水で洗う(清潔)+蒲の花粉(治療薬)=スキンケアであった。
Eアトピー性皮膚炎とアトピー性皮膚
    前者は病気であるが後者は病気ではない。
・ アトピー性皮膚とは、角質細胞間脂質、特にセラミドの低下により皮膚のバリア機能が障害された、先天性・遺伝性に生じた「乾燥肌・過敏肌」である。従って・アトピー性皮膚炎患者にとって・アトピー性皮膚とは、生理的な皮膚状態である。・アトピー性皮膚を基盤にして発症した皮膚炎=湿疹が・アトピー性皮膚炎(病気)である。
Fアトピー性皮膚炎の治療目標
アトピー性皮膚炎はどこまでなおせばよいのか?
→病的な・アトピー性皮膚炎の状態を(生理的な)・アトピー性皮膚に戻すことが治療の第一目標
 そして、適切なスキンケアによる・アトピー性皮膚のコントロール治療の最終目標
Gアトピー性皮膚炎治療における問題点
・ アトピー性皮膚炎は「アレルギー」が全てか?
→「アレルギー」が全てではない。体調、気持ち(神経質)などが影響する。
・ アトピー性皮膚炎は「バリア機能異常」が全てか?
→「バリア機能異常」が全てではない。ストレス解消策など。
・ アトピー性皮膚炎における「嗜癖的掻破行動」
→「嗜癖的掻破行動」は小児も例外ではない。
Hアトピー性皮膚炎の治療目標
 アトピー性皮膚炎はどこまでなおせばよいのか?
 →アトピー性皮膚炎の2段階治療戦略
  第一段階 病的なアトピー性皮膚炎の状態をアトピー性皮膚に戻すことが治療の第一目標(ステロイド外用剤、プロトピック軟膏,重層処置、教育入院)
  第二段階 適切なスキンケアによるアトピー性皮膚のコントロールが治療の最終目標(保湿薬、止痒薬、ストレス対策)
アトピー性皮膚炎に関する質問及びそれに対する回答
1.アトピー性皮膚炎の治療
  アトピー性皮膚炎とアトピー性皮膚に分けて、炎症がある場合には、まず短期決戦で適切な治療で湿疹があればまずそれを治す。そしてアトピー性皮膚の状態に戻すこと。それから保湿剤などで対処することになる。
パッチテストなどやってもだめでユーステスト=使ってみないとわからない。医薬品メーカーの作る尿素材よりも化粧品メーカーの作る尿素材による方が推奨され、これにより湿疹を治しスキンケアをすることをお薦めする。
2.アトピー性皮膚炎や喘息は遺伝するか
  なりやすい体質は遺伝するが、それが発現するかどうか、また後天的な刺激により出た場合の重症度は生まれた後の対処の仕方如何(スキンケア)で異なる。
3.ステロイドの副作用
  @塗り続けることにより体内に留まるということはない。90年代にこの懸念が各種の温泉治療その他の商売が氾濫した。
  A非常に有効であるが副作用はある。中等度・強力・最強なものまであるが、作用・副作用のバランスを踏まえて使用をすることになります。3日後、1週間後に様子を見るなど医師の監視下で行います。最悪の使用方は中等度のステロイド剤を長期間使い続けることである。
  B副作用のために絶対に使ってはならない皮膚病の例:たむし、水虫、いんきんなど
    顔には長期(6ヶ月以上)に使ってはいけない。白内障、緑内障の原因になる可能性あり。
基調講演U 食物アレルギーの対応について――向山徳子先生(同愛記念病院小児科部長)
@ 食物アレルギーの意義:食物を摂取することによって起こる体質的な過敏な反応。皮膚や消化器、呼吸器など全身に症状が出る。多くは原因となる食物を食べて1~2時間以内に症状が出るが、少し時間をおいて出る場合もある。
A 食物アレルギーの対応は自分の体にとって過敏な症状を起こす食物を食べないようにすること。子供の食物アレルギーは、年齢が大きくなるにつれて次第に改善する。少しずつ加工した食品から食べていくようにする。
B 食物アレルギーの頻度
  3歳以下の子供では約8〜10%、ただし年齢と共にだんだんと少なくなり、成人においては約2%とされている。
C 食物アレルギーの原因食品
わが国において頻度の多いものとして、卵、牛乳、小麦,そば、ピーナツなどがあげられる。魚介類、野菜、果物、肉類などによるアレルギーもある。
D 食物アレルギーが起こるしくみ
      体質と消化機能が大きく関係している。食することによって体内に吸収された分子が体にとって異物と判断されて、IgE抗体が作られ、その結果アレルギーの症状がおこる。
E 食物アレルギーの症状
最も多いのは皮膚症状であり、皮膚が赤くなり、かゆみやじんましん、湿疹などが出る。多くは食後30分〜1時間以内に起こる。
消化器症状では、吐き気、腹痛、下痢などの症状がみられる。
呼吸器の症状としては、せきが出て、ゼーゼーとした呼吸の状態になる。最も重い症状としては、血圧が下がって顔色が悪く、意識が朦朧とする状態=アナフィラキシーショックがある。多くは食後15分以内に起こる。
F 食物アレルギーの診断
医師による問診→血液検査・皮膚テスト→IgE抗体の量または食物経口負荷試験(原因アレルゲン診断のための最も信頼性の高い検査だが、アナフィラキシーショック症状を起こす虞あり)。
症状を予防する方法としては、原因となる食物を食べないようにする除去食療法が基本となる。
食物アレルギーに関する質問及びそれに対する回答
 1.一歳の子供が食物アレルギーのため食事療法と半年以上抗アレルギー薬を服用しているが副作用などの心配は?
 →抗アレルギー薬は大きく分けると2種類ある。一は症状にあわせてその症状をとる抗アレルギー薬と二は食事の前にアレルギー症状を起こさないようにする予防のための抗アレルギー薬がある。子供の場合はおそらく二の抗アレルギー薬を使っているのであろう。一年使用位では特に悪い副作用に結果することはないので、使用を続け症状の改善を待ってだんだん抗アレルギー薬の量を減らし様子をみるのがよいであろう。抗アレルギー薬は予防的な効果があるのでアレルギーが起きてから服用するのではなく、半年、1年と続けることによって効果が期待できる。
→アレルギーのある食物に対する食事療法としては、最初は加工食品から始めだんだんと加工していない生のものへと進んで行くのが良いでしょう。
2.学校給食への対応=対応血液検査で+3と出た食物について
 →どの程度たべられるかを医師に診断書なり指示書(共通のフォームはない)という形で書いてもらって提出すべき。
→ただ、+3といっても離乳食時は強い反応が出たとしても3歳位になると反応が変わってくるなど、年齢が進むにつれて変化するのでその考慮がいる。この辺は医師と相談の上で対応すべき。
3.乳幼児期に麻疹の予防接種で反応が出たとしても年齢が幼稚園児ぐらいまたは学齢期になるとアレルギー反応が弱まり接種を受けられるようになることもある。
4.カレーチャーハンお食べて30分後にアレルギー発作を起こし救急車で病院へ搬送された。毎回出るわけではない。
→毎回出るわけではないという点については、乳幼児については必ず出てもある程度の年齢に達すると常に反応が出るわけではなく、これは体調の変化に起因していることがある。激しい運動の後とか、風邪をひいていたために解熱剤を飲んでいたとか、頭痛薬を飲んだあととかは反応が強く出ることもある。ただ、同じもので何度も症状が出る場合には、それに合わせた注射や飲み薬もあるので、医師と相談することを薦める。従って、その場合場合の状況を医師に伝えることが重要である。


基調講演V.「花粉症治療の正しい理解と実践」
――増山敬祐先生(山梨大学医学部耳鼻咽喉科・頭頚部外科教授)
@花粉症とは=花粉によって起こる鼻炎、結膜炎
普通の風邪はウイルス感染故たいてい1週間くらいで自然に症状はなくなるが、花粉症では症状が花粉が飛び止むまで続く。
Aくしゃみ、洟水、鼻づまりといった症状の種類=生理的な防御反応
 味覚性鼻炎,化学性鼻炎、冷気吸入性鼻炎(スキーヤー鼻)、
花粉症は仕組みが異なり、花粉に対するアレルギーで起こる。
 花粉→抗体が産生→肥満細胞に付着→肥満細部が活性化→ヒスタミンやロイコトリエンを遊離→神経、分泌線,血管を刺激→花粉の侵入を防ぐためのくしゃみ反射、洟水、鼻詰まりとなる。この症状は花粉の飛散が終了するまで続く。
B花粉の飛散時期
 日本の花粉症の8割以上はスギ、ヒノキ花粉症であるがその飛散時期は、
スギ(1〜4月初旬)、ヒノキ(3月中旬〜5月連休)である。スギ花粉症の7割がヒノキにもアレルギーがある。そのほかにも花粉症の原因植物はあり、
イネ科のカモガヤ(5月〜7月)、キク科のブタクサやヨモギ(8月〜10月)
北海道の花粉症はシラカバでありスギはごく一部に限られる。
C花粉症の診断
 花粉の飛散時期
 スギ(1月下旬〜4月初旬)、ヒノキ(3月中旬〜5月連休)
スギ花粉症ではその7割がヒノキにもアレルギーがある。→この時期に鼻炎と結膜炎の症状が出る。日本の花粉症の8割以上はスギ・ヒノキの花粉症です。
そのほかの代表的な原因主として、イネ科のカモガヤ(5月〜7月) キク科のブタクサやヨモギ(8月〜10月)などがその代表である。なかには多くの花粉に反応する人もいる。
また地域によっても花粉の種類は異なり、北海道の花粉症はシラカバでありスギはごく一部の地域に限られている。
診断の必要条件は花粉の飛んでいる時期に症状があること→次に原因となる花粉の検査をする→1は皮膚テスト(皮膚が赤く腫れるのをみる)→次に血液検査でその花粉に対する抗体=IgE抗体が血液中にあることを調べる。
D花粉症のセルフケアと治療
セルフケア
 検査で花粉症の原因となる花粉がわかったら、症状が悪化しないようその花粉をできるだけ吸い込まないようにすることがセルフケアとして大切である。→マスク・メガネの着用は鼻や眼にはいる花粉の量を減らす。外出時には衣服の素材にも注意が必要(特にウールは花粉がつきやすい素材、帰宅時には家の中に花粉を持ち込まないように玄関先で衣服についた花粉を落とし、体に付着した花粉は、うがい、洗顔、洗眼で洗い流す。洗眼には防腐剤無添加人工涙液がある。)
薬物療法
 次に、薬物療法では、症状が少しでも出始めたらまたは症状が出てなくとも飛散が始まったら治療を開始する。→これは初期療法といって飛散ピーク時の症状悪化を和らげる効果がある。眠気の少ない第2世代の請う抗ヒスタミン剤がよく使われるが点鼻ステロイド薬も早めに併用するとより効果的である。大切なことは飛散が終了するまで継続することである。
根本療法としては免疫療法(減感作療法)がある。
 これは体に花粉蛋白を少しずつ量を増やしながら注射することによって、花粉に対するアレルギー反応を弱めていく方法である。少なくとも2〜3年の治療が必要で、60〜70%に有効でうまくいくと治してしまう可能性もある。ごくまれに副作用があるので専門医での治療が必要である。
最後に、手術療法として」レーザー手術なども行われている。
     粘膜のごく表面を焼いてアレルギー反応を弱めようという試みですが、花粉の飛散量などによってもその効果は変わるので評価は難しいようである。また根本療法ではないので再発もあることを認識しておく必要がある。
質問及びそれに対する回答
1.OTC(?)という薬局で購入した花粉症の薬を継続して服用しているが副作用は?
 →これは佐藤製薬ら出ているものであるが、これは風邪用の鼻炎薬であり短期間使用するためのものである。花粉症はスギ花粉の場合3ヶ月位続くわけであるが、風薬をしょっちゅう飲むと、この薬の成分は所謂第一世代の抗ヒスタミン剤であり、抗コリン作用といって劇的に鼻水は止められるが血管収縮の作用があるが長期に使用すると緑内障といった副作用がある。従って、1週間位使用して治らないようであれば医師に相談するようにと書いてあると思う。現在病院で使用されているCTOCと言われている第二世代の抗ヒスタミン剤は眠気の少ないものがあるので、担当の医師に相談されて対応することを薦める。いずれにしても、市販の薬を長期に亙って使用することは避けるべき。
2.花粉症のレーザー治療の効果は?
  →鼻の粘膜の表面を焼くことによって抗原の浸入ができるだけ抑えられる。これによりアレルギー反応を抑えるという治療法であるが、ただ、根本的な治療法ではない。時期的には前の年の11月か12月にこれを行って次の年の花粉飛散に備えるというもの。花粉の飛散の程度による比較もはっきりしていない。また、あまり例がないのと、ステロイド剤の効果との比較もないし、1回やってその効果が継続するという記録もはっきりしない。もしかしたら毎年やらなければならないかもしれない。薬の副作用の出やすい人の場合には前の年に予めやっておけばアレルギー反応が抑えられる効果があるので、選択肢の一つともいえる。
3.減感作療法が欧米のように普及しない要因とその打開策は?
 →アレルギー免疫療法は現在、唯一アレルギーを治療できる治療法とされている。欧米では花粉症について舌下免疫療法が主流になってきているとされています。日本では、まず、第一に、免疫療法をやるための抗原の標準化(ばらつきがないようにする)が遅れていて、一つだけスギの標準化抗原だけはある。次に、日本では免疫療法はなかなか評価されていなくてビジネスとしても副作用があるので成り立たなくなっている。ナフィラクシーショックがあるというので日本では普及していない。それと、喘息については吸入ステロイドという優れた薬ができたのでこちらが主流になっている。しかし、アレルギー学会としては抗原の標準化や点数制度を整備していく方向で動いていています。まずはスギの舌下の免疫療法で動いているという状況である。

基調講演W.新しいガイドラインに沿った喘息治療法
―大田健先生(帝京大学医学部内科学教授)
 @ ぜんそくの定義      ぜんそくによる死亡数   治療の目標
  @.可逆性の気道閉塞   2004・・3283  ・健常人と変わらぬ日常
  A.気道の過敏性     2005・・3198   生活が送れること
  B.慢性の気道炎症    2006・・2778  ・正常な発育が得られること
Aはじめに
 ぜんそくは、発作性の喘鳴、呼吸困難(息苦しさ)などの症状を特徴とし、場合によっては死につながる程の重い発作を起こす可能性がある。近年の医学の進歩により、ぜんそくは気道に炎症のあることが明らかとなり、炎症を治療することが重視されるようになった。
ぜんそくの患者は、成人で3〜4%、小児で6〜7%と言われるくらい多いが、必ずしもぜんそくを専門にする医師が診療にあたっていない。蓄積されたデータと専門家の意見を集約して、良いと考えられる治療を纏めたものがガイドラインである。日本アレルギー学会で作成されたガイドラインにそったぜんそくの治療を紹介する。
治療には、@発作に対しておこなう治療と、A良い状態を維持するために継続的に行う長期管理と呼ばれる治療、があるが、患者自身の理解と協力に依存する長期管理について述べる。
Bぜんそくの段階的治療
 長期的管理では、ぜんそくの状態を4段階に分け、患者ごとに当てはまる状態(重症度)で推奨される治療を選択し実行する。
 4段階の内容は、ステップ1が(軽症)間欠型で症状が毎日はない状態、ステップ2が軽症持続型で症状が毎日ではないが毎週ある状態、ステップ3が中等症持続型で生活に支障はないが症状が毎日ある状態、ステップ4が重症持続型で症状が毎日で生活に支障をきたしている状態である。そして、実行している治療で効果が不十分であれば、治療の強化(ステップアップ)、十分な効果が3ヶ月以上持続すれば治療の軽減(ステップダウン)を実行する。
C長期管理薬
 喘息の長期管理においては、喘息の症状に対する薬とともに、病気の背景にある炎症を鎮めるための薬が投与される。
 @.吸入ステロイド薬
   A 炎症を抑える効果が最も強力な薬で、吸入で使用するので副作用は最小限で安全性の高い薬剤である。
B 6歳以上の小児および成人のぜんそくにおける長期管理で中心をなす薬である。
    とくに成人では吸入ステロイド薬がステップ1からステップ4に至る各ステップで推奨される。
C 小児でも年長児(6〜15歳)ではステップ2から、乳児(2歳未満)および幼児(2〜5歳)ではステップ3からステップ4までで基本治療として位置づけられる。また幼児ではステップ2で考慮となっている。ドライパウダーのフルチカゾン(FP)とブデソニド(BUD)、代替フロンのHFAを用いたBFD、FP、シクロセニド(CIC)が使われている。
 A.その他の治療薬
   除放性テオフィリン薬は長期管理に有効で、吸入ステロイド薬との併用は、吸入ステロド薬を倍量にするのと同等もしくはより優れた効果を表す。
  長期間作用性β2刺激薬には、吸入薬、貼付薬、経口薬があり、其々について有効性が示されている。また吸入ステロイド薬との併用では、吸入ステロイド薬を単独で倍量にするより優れた効果を示しており、FRでは長時間作用性β2刺激薬で吸入薬のサルメテロールとの配合剤がある。
   抗アレルギー薬には、多種類があるが、ステップ1から4まで推奨されるのがロイコトリエン受容体拮抗薬で、アレルギーの関与の有無に関係なく用いられる。吸入ステロイド薬との併用は、ステロイドの減量効果を示すことや、低容量あるいは高容量の吸入ステロイド薬で不安定な状態を安定化させることが期待される。

質問およびそれに対する回答
1.小児喘息について、吸入ステロイド薬の使用の是非、安全性、吸入行為は自分でできるか、喘息は治るのか?
  →、吸入ステロイド薬の使用は広まってきてはいるが、日本ではまだ歴史が浅い。ただ吸入ステロイド薬そのものは20年以上の歴史の中で使われてきております。特に副作用についてはしっかりとしたデータの蓄積がありますが、小児については特に成長とのかかわりが重視されて、副作用が短期的には成長に影響があったということが発表されたときにはびっくりしたが、結局、長い期間のフォローアップによって長期的には成長して大人になったときには普通の人と同じような成長を回復していたことが明らかになったとされている。小学校から成人に成長して行く過程において有効な必要な量を選んで使っていくことで対応することになる。安全性という点からは、例えば、重症度のより高いレベルではステロイドの使用量も高いが、3つのレベル(低容量,中容量、高容量)について、高量度に使わなければならない場合があるのだが、この場合には成長に対する抑制効果あるのではないかということが慎重に調べなければならないが、一般的な統計としては薬剤の最高量を使っても現在では安全度はきわめて高いとされている。局所的な影響についても、血が薄くなったり、色素の沈着あるいは逆に白くなったり、などということが懸念されたが、これについても、長年の蓄積されたデータによって、返って、気道がきれいな状態になっているということが証明されている。基本的には、吸入ステロイド薬の安全性に関しては、専門医のもとできちんとした量を使うことで、使わないよりは使うほうが良いということが証明されている。
 →吸入行為として現在イゲソリドという薬剤があるが、ネブライザー液をつかって赤ちゃんにでもそれを使うことができる。もう一つの工夫としてはスペーサーという器具を使う方法でそれにエアゾルをかけておいてそれを吸わせるという方法である。吸入行為は5歳を超えると自分でもできるし、その前の段階では周りの人の補助によって吸入を開始できるといえる。それから、吸入ステロイド薬の普及によって、幼児の頃から吸入ステロイド薬による治療を開始しこれを積極的に進めたときに実際に注意率(?)が高まるかということが現在研究されている。
 →一般に小児喘息の5、6〜7割は成長により完快(無症状・無治療)になるという結果と、そうではなく自然経過の中では治らないという研究結果も出ている。しかし、一般に小児が爾後完快になる場合はより軽症である場合について当てはまるということがいえる。
 →成人喘息についても同じことが言える。成人についても1割弱の人は軽症であった場合は25年後には無症状になり、気道の過敏性も消えているという結果がでている。軽くて完快しやすいタイプに属さない人たちは早くから吸入ステロイドを使うことによって前者のグループに入ってくるというよい結果がでている。
司会者(河野) 従って、ステロイドは副作用のない薬ではないが、その使用はトータルとして悪い結果よりも良い結果の方が出ているということがいえる。
2. ステロイドの使用を中止してよいか
喘息は慢性の気道炎症であるから、調子が良い場合でも、ステロイドを停止するかどうかは医師と相談の上で決めたほうが良い。医師の評価を受けることが必要で、受診は続けた方がよい。
3. 測定結果と症状の発症が食い違うことがあると聞くが、アレルギー血液検査は信用できるか?
アレルギーの血液検査はある異物に対してIgEの抗体が作られているかを調べるもの。IgEがあるかないかの検査結果がでてくる。もう一つ重要なのは病気というものは抗体があっても喘息にかかっているとは限らない。ある研究によると、ある医学生のダニに対する抗体を調べて行くとどんどん殖えていって90%ぐらい陽性の抗体反応があったとしても、だからといってその全てが喘息になるわけではなく、その中の多くとも1割ぐらいが喘息になるに留まっているとされる。結局、アレルギー疾患は抗体があるとともに発症する病気によって、例えば、喘息では、気管支、気道、そして肺、それらが喘息を発症するための状況にあるということで、たとえば気道が敏感になっている、そういう素因があるということで、発祥すると考えられる。勿論、抗体は重要な因子としては考えられるが、陽性だから病気になるというようにはつながらない。
いくつかのデーターに加わって陽性ということが因子としてとらえられる。
その他の質問
1. 顔にステロイドを使うことは避けるべき
2. 毎年11月頃に口の周りに湿疹ができ、知らぬ間に消えてゆく症状は?
(飯島)学生の場合はレポート提出、社会人の場合は監査の時期など、ストレスのせいではないか。眼と口の周りが一番掻き易い場所、アレルギーでは決してなく、ストレスか嗜癖的掻破行動のケースが考えられる。
(増山)どこに住んでいるかにもよるが時期的に花粉症の可能性は低いと思う。
3. 数年前から果物を食べると口の中がはれたり、痒くなるのだがその原因は?
(向山)多分,口腔アレルギー症候群ではないか、アレルギーの一つの症状で、花粉症ともつながっていることがある。痒い場合は患部に抗アレルギー薬を塗るとか、果物を特定できる場合にはしばらくそれを避けるのが良い。
(増山)北海道では春先に飛ぶシラカバの花粉症との関係で口腔アレルギー症候群が問題となっている。スギ花粉症でも少ないが報告されている。
4. 喘息患者について咳も出ないし、痰が出ないので薬を止めてもいいか?
(大田)吸入ステロイド薬はむしろ増やすべき。症状があるときに薬の減量は絶対にできない。

感想
            
講演会は第1部基調演説と第2部パネルディスカッションから構成されていたが纏めの都合上各演者ごと末尾に記載した。後者のパネルディスカッションはその意味するところ(ある問題について対立する意見を持つ数人が聴衆の前で討論を進め、後に聴衆の参加を求めるという討議法=大辞泉)とは異なり、予め出席者から出された質問の中から主催者側が選んだものに意見を異にしない演者が答えるというのが実態であった。因みに昨年の講演会も同じで、当日の講演会を聴取した出席者から結果として起こる疑問・質問には答えないことが前提になっており、会場を去るにあたり、聴衆の一人としてやり場のない不満が残り、忸怩たる思いで帰途についた。

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2007年11月08日

アレルギー患者の体験記

嘗て掲載しておりました患者の体験記が本ブログから消失しておりましたので再掲載いたします。
《T》
私のアレルギー治療はアメリカで始まった。
(as)
はじめに
想えば、私は50歳を過ぎてから8年に及ぶ苦しい喘息、およびそれに先立つ数年にわたるるアレルギー性気管支炎という病魔から解放されて、今、快適な普通人の生活をしている。苦しかった時期を思い出すにつけ、いまのこの快適な毎日が信じられない。長屋宏医師の治療を受け続けた結果今の自分があるという実感がこみ上げてくる。私は私がどんな治療を受けて今の自分を取り戻したのかを書き記しておきたい。そして私の治療が日米両国に亙っていたので、私の体験から知った両国の治療の違いについても触れたいと思う。
一.アレルギーの発症とロサンゼルスでの治療
ロサンゼルス在住6年目の1987年の春先のころ、一年中、色とりどりの花が咲き乱れる花園のようなタウンハウスに移り住んで3年目だった。ある日突然咳が出て息苦しくなった。小学校時代以来ひいたことがなかった風邪をひいたのかと思った。咳と息苦しさで眠れぬ夜を過ごした翌日、ゴルフ仲間である友人から花粉アレルギーかもしれないと聞いたので、その日の夜、少しでも花粉を鎮められるのではないかと思い、ゴムホースを使って家の周りの花々に水を掛け捲った。だが一向に症状は改善されないので、専門医に見てもらおうと思い、後日、その友人からカリフォルニア大学アーヴァイン校のアレルギー専門の教授である長屋先生を紹介してもらった。これが先生との出会いの初めであった。早速、先生に診ていただいた結果、アレルギー性急性気管支炎と診断され、治療をせずにこのまま放置すれば2年後には気管支喘息になるでしょうと言われた。そしてアレルギー免疫療法(減感作療法の現代版)による治療が始まった。その後分かったことだがアメリカではどの州でもアレルギーに対してはこの治療法が行なわれているようである。この治療の最初の日に先生が治療の中身について克明に説明してくれたことが印象深く記憶に残っている。説明のポイントは、まずはアレルゲンを避けること、避けられないアレルゲンについては治療は二つ。一つはアレルギー症状が起きないようになるための(=減感作のための)注射を続けること、および二つは現在起きつつあるアレルギー症状を一時的に押さえ込むための気管支拡張剤の服用と吸入ステロイドの併用であった。治療について患者に理解させその了解を得てから治療を始める。これがアメリカ流なのかと思った。数年前に肋骨を痛めたときにかかった整形外科医の医師からも詳しい説明を受けたことを思い出した。説明の仕方も具体的だった。折れた骨が治るまでアルコールはご法度。この間にもし飲むとそれはあたかも骨折部分を金槌でたたくようなものだ、というのであった。私は完治するまでビールを飲むたびに胸にグサッとくるこのたとえを思い出した。  それにしても『喘息』などという自分には無関係と思っていた恐ろしい響きを持った病気が身近なものになるのかと思うと、この上ない不安が一瞬脳裏を掠めた。しかし、先生の丁寧な説明でこの治療を粘り強く続けることによって将来そのおそれから必ず解放されることになる可能性を知らされ、『喘息』になるという不安が消えた。先生の丁寧な説明が『喘息』という病気の結末である恐ろしい窒息死の可能性を自分からかき消してくれたと言ってもよい。自分は健康そのもので恐ろしい病気とは無縁と信じていたことも手伝ってくれた。
4月から9月まで、当時住んでいたロサンゼルス内陸部のウェストコヴィナから南西部の海岸近くに位置するトーランスの先生の診療所まで車で30分かけて、せっせと通って減感作のための注射を週2回ペースで受け続けた。注射後の返る道すがら、毎回注射局所の痒みに耐えながら街路樹のユーカリの巨木やジャカランダの木に薄紫色の花が咲きほころぶトーランスのだだっ広い街路をドライブして帰ったことを覚えている。いつか、そして一刻も早く良くなることを期待して先生の診療所へ通い続けた。
折りしも、同じ年の10月から中西部へ転勤となったため、長屋先生に診断書を書いてもらい、それを転地先の診療所宛に示して同じ治療の継続をして貰うつもりだった。しかし、転地先の診療所では、改めて皮膚のスクラッチテスト(約24種類のアレルゲンによるテスト)が行なわれた。その結果、アレルギーは見つからずとの診断により減感作療法は不要と診断された。ロスから持っていって提出した診断書は無視された。その後2年で別の診療所(当時3歳と5歳の子供がかかっていた耳鼻咽喉科)で喘息になっているとの診断を受け、アレルギー専門医にかかるよう薦められた。長屋先生の予言が現実になった自分に唖然としたものである。以来、インディアナ、ミシガンと中西部での転勤先ではアレルギー科で喘息患者としての減感作注射によるアレルギー免疫療法および気管支拡張剤と吸入ステロイドの投与を受け、米国駐在中、1994年8月に帰国するまでこの治療を受け続けた。この間の症状は朝のうちに大量の痰が出た後は楽になり、午後は普通の生活が出来るという毎日であった。勿論、特に発作などは出たことはなかった。
二.日本での治療と長屋医師との再会
帰国後は、タバコの煙が濛々と充満する職場環境のせいか、身体の調子が芳しくなく、耳鼻咽喉科通いの日々を送っていた。受けた治療は自宅近くの医院でメプチンによる気管支拡張のための吸入をやるだけで、あとは主にステロイド系の錠剤とベコタイドなどの吸入ステロイドの処方による薬漬けにされる以外に勿論、減感作療法などやってくれることはなかった。
 帰国して4ヶ月目に激しい喘息(?)発作に襲われた。息が苦しく、一人で立って歩くこともままならず、いつ死ぬのかという不安で肉体的だけでなく精神的にも一人でいるのが怖く、妻の肩に寄りすがるようにしていないと不安を感じる毎日であった。
米国で受けた治療は日本で受けられないものかと思ううち、帰国された長屋先生のことを思い出し、アメリカの友人を通じて先生が久我山病院で診察されておられることを聞き知った。早速調べ当てて診察を申し込み、確か3週間後に順番が来て診療が始まった。その年の師走も終わろうとする頃であった。当時、久我山病院まで電車を4つ乗り継いで2時間以上もかかる横浜に住んでいた。しかしノーチョイスで久我山病院へ通うことに意を決し、アメリカから帰国後初めての減感作治療が再開された。150を超える抗原による皮膚テストの結果37種類のアレルゲンに反応があった(内、食物については54種類のアレルゲンに対して、玉葱に弱陽性、ナツメヤシに中陽性、白黒コショウに強陽性と出たので食事の際はこれらを避けるようにしている)。反応があった内訳は、13種類に中程度、23種類(木の花粉6種、イネ科の草の花粉3種、シバの花粉4種、ダスト5種、カビ5種)に強度の反応があったようで、それらの混合希釈液での減感作注射が始まった。
医師の患者である私に対する態度はアメリカ中西部で他の医師から受けた治療の体験とははじめから異なっていた。プリックテストから毎回の注射に至るまですべて先生自身がやり、注射が終わった後の反応を先生自ら手で触って確かめるという徹底したものである。注射局所を触られたときに、忘れかけていた初めて先生の治療を受けたロスアンゼルスの頃を思い出した。先生の指で初めて腕にふれられたときは戸惑いながらもその指の感触が患者である私の全身に満幅の安心感を与えてくれた。そのことがここ久我山病院で彷彿としてきた。
三.米国での治療体験
長屋先生の治療の仕方は米国で受けた治療とは大分異なっていた。と言うのも、中西部へ行ってからの治療はインディアナでもミシガンでも主治医の問診・診察以外はテストを含め注射およびその後の反応のチェックはすべて看護婦がやっていたからである。もっとも、看護婦による事後チェックは反応に異常があるかないかのチェックをするだけであり、異常があれば医師が出てくるという感じだった。
ここで、看護婦について付言すると、色鮮やかな頭髪と碧眼高鼻の面立ち、それに圧倒的な体格差に戸惑いながらも落ち着いて観察すると、いろいろなタイプがいた。用心深い丁寧なタイプから力ずくでやるタイプもいて、スクラッチテストや注射されるときにある程度身構えていないと予期もしていない痛みや出血に耐えさせられることもあった。タイプによっては繊細な感覚に疑問を感じる看護婦もいてまた、その大柄な風貌にも拘らず患者に対してきめ細かな配慮をするタイプもいた。自らの任務を全うすることが主でスクラッチテストのときは確実に傷をつけるということに集中し、この点その責任感と専門意識の強さに好感を感じたが、患者の痛みを軽減するための意識に疑問を感じるタイプもいた。また、忠実に注射のフォーマットに従ってやっているようで、最初の数ヶ月は週2回、その後数ヶ月は週1回、その後は月2回・・・、という具合に注射の反応如何に無関係に注射のスケジュールが決められているらしく、ある日、調子が悪いので週1回の時期に2度目の注射を求めて診療所を訪ねると「あなたは今日は注射出来ません。スケジュール上、あなたには今週は1回しか注射できないことになっていますから」と追い返された経験がある。このことからも、長屋先生の治療法が如何に患者個々人の症状に合せた緻密なものであるかが分かる。
ここで、私の子供の治療体験について少し記しておきたい。我が家族はカリフォルニアで2人の子供を授かった。現地での子供の医療は日本と異なっていた。4,5歳になっても日本では小児科扱いだと思うが、米国では小児科は出産時と乳幼児期以外はうちの子供はかかったことがなかったと思う。3歳ぐらいから大人と同じように耳鼻咽喉科にかかり、娘が5歳でアデノイド手術をしたときも耳鼻科の医師が執刀にあたった。病人は小さいときから専門の医師がみるというのが米国の医療なのか。アレルギーについては乳幼児期からアレルギー専門医がみるので、耳鼻科、咽喉科、皮膚科、アレルギー科など、医療の分野での重複を避ける体制が確立しているようである。アメリカ憲法が年齢のよる差別を禁じている原則がこの分野にも浸透しているのか、と合点がいった。
四.住居環境の整備と長屋式減感作療法の励行およびその効果
この治療を続けるには私にとっていろいろ負の誘惑もあった。たまたま私の身内には耳鼻咽喉科の専門家もいて減感作療法の効果を疑問視しており、「半年もやって効かないときは続けるのは無駄でしょう。」と言い、早めに切り上げて漢方などに頼ることを薦めてくれるアドバイスもあった。しかし、アメリカでの経験をたよりにこの治療を続けた。はじめは週に毎日6日間、毎回6〜7時間かけて減感作注射のために通い続けた。私は家族も含めて将来とも長屋先生の診察を受けることが必要になると感じ、思い切って病院の近くへ引っ越すことにした。購入したマンションには完全なリモデリングを施し(床は畳を撤去しすべてフローリングにし、天井・押し入れ・壁を板張りにしたうえでビニール製の模様紙で覆い、カーテンはビニール製のブラインドに替え、埃の原因となるものすべてを排除し)た。勿論、寝具類は家族全員の分を防カビ・防ダニ用のものに新調し、思い出のこもったすべての品々を捨てるか倉庫にしまいこんだ。そして引越してからは5分で病院へも通えるようになった。減感作療法の効果は気づかぬペースで徐々に出てきて、3年目頃からは週3〜4回、5年目からは週2〜3回でも楽になったような気分的なゆとりを感じられるようになり、8年目にして漸く人混みの中に出れるようになった。また、そのころから、外出して学友との旧交を温めたり、10年来やめていたゴルフもできるようになり、歌舞伎や音楽会にも二の足を踏むことも無くなった。旅行も出来るようになり、昨年は、一泊旅行で伊勢神宮へ赴き伊勢志摩国立公園をドライブしたが何らの支障もなかった。今では朝晩の吸入以外は普通人の生活ができ、完全に社会復帰ができている。長屋先生は他の多くの患者がそう言っているように、まさに私にとっても命の恩人と言っても過言ではない。
以上、減感作療法に中心をおいて述べてきたが、勿論、気管支拡張のためのベネトリン・食塩水の混合液の吸入は8年間、一日4回(苦しいときはさらに1〜2回追加)を基本に欠かさず続けた。8年経って楽になってからは朝昼晩の一日3回、現在は一日2回で済んでいる。さらに対症療法である吸入ステロイドもベネトリン・食塩水の混合液吸入直後は必ず行なってきたことは言うまでもない。現在は吸入器使用後にパルミコート(吸入ステロイド)を二呼吸ずつ吸入している。これは長屋先生の指示に従ったものだが、アレルギーを治すためには減感作療法と薬物による対症療法があたかも車の両輪の如く不可欠であるとデトロイトの主治医からも聞いていたことも先生の指示を理解するのに役立っている。最近、先生の著書を身を入れて読んでからは他の病院で避けたらと言われていたテオロングも気管支拡張に有用だということが判りまた特に副作用を感じないので朝晩飲むようにしている。とにかく、ぜん息との闘いはそんなに生易しいものではないということをまずもって肝に銘じておくことが肝要であると自分に言い聞かせた。こんなに長い間毎日苦労する理由はただ一つ、窒息死を避けたいからである。身体の一箇所を除いてすべて健康そのものでも息ができないで窒息死することほど恐ろしいことはない。こういう状態になると医師も家族も何もできず、ただ絶命を待つこと意外に何もできないでいるところを実際にみたことのある人ならその恐ろしさが判るであろう。
五.小児ぜん息について
 私の息子は6歳で帰国したが、風をひきやすく就寝中咳き込むことが多かったので長屋宏医師に診てもらうと、ぜん息になっていることが判明した。所謂小児ぜん息である。その原因アレルゲンを特定すべく、すぐに皮膚テストを行い46種類のアレルゲンに対して強陽性の反応が出た。特にダニのアレルギーに強い反応を示していた。高校受験までの約10年間私と一緒に減感作治療を受けることになった。その効果か、今は落ち着いている。長屋先生の著書によれば、公害ぜん息の認定をうけた小児ぜん息の患者の99%がダニに強いアレルギーがあるという臨床結果が出ているという。公害によって喘息になったのではなく、家庭内のダニによって喘息になっていることをもっと政府は知るべきではないか。公害ぜん息のための政府予算をダニアレルゲンの減感作療法の普及にも使えればどんなに小児ぜん息患者を救えるか計り知れないのではないかと思う。 
六.アレルギー免疫療法(最新の減感作療法)はなぜ効くのか
 最新の学説によると、アレルギー体質の人はそうでない普通の人と比較してアレルギー反応を抑制・コントロールする細胞の量が少ないためにアレルギー反応が過剰に起きる傾向にある。しかし、減感作注射によって免疫細胞のなかのアレルギー反応を抑制コントロールするTR細胞という細胞が注射回数と比例して増大し限りなく正常人(アレルギー体質のない人)の量に近づくという。そして、長年に亘り減感作注射をしているとその働きをする細胞の子孫まで体内に蘇生する可能性があるというのである。これにより注射をやめてもこの細胞が多ければ多いほど長年に亘り(10〜15年)アレルギー反応が抑制され続けられるということが明らかになったという。アレルギー体質の私にとってこの上ない朗報である。他の用事を犠牲にしてでも手間を厭わずに減感作のために病院に来たいという誘引の力強い支えになっている。これまで十年以上に亘る病院通いが無為に終わるのではなくその苦労が身体のなかに財産として蓄えられつつあるということである。なんともうれしい充実感に浸らしてくれる理論である。
七.日本の減感作療法の現状
1.では、日本でこの徹底した減感作療法が行なわれているのだろうか。
この質問に対する答えはイェス・アンド・ノーであろう。しかし現在の日本では最初のイェスは残念ながら限りなくノーに近いイェスでしかない。その理由は、私の知る限り、まづ第一に、大半の医療機関で行われていないということ。第二に、主要な専門医療機関で行われていたとしてもハウスダストなどの限られたものについてしか行われていないこと、という点である。国民の少なくとも3割(4千万人)がアレルギーに冒され、毎年、3000人を超えるぜん息死をひき起こしている日本においてアレルギーの根本治療法である減感作療法が欧米先進国にこのような遅れをとっている日本のアレルギー医療の一刻も早い改革が必要である。私が久我山病院に来る前に日本で受けた治療では、今頃私は病死していたのではないかと思い、日本のアレルギー医療のレベルの低さというより恐ろしさを身をもって感じている。
長屋医師による100を超えるアレルゲンの皮膚テストの結果、私は37種類のアレルゲンに対して反応があった。この反応があった中の強陽性のアレルゲンすべてに減感作注射できて初めてアレルギー反応から解放されたのである。そしてそのために8年の通院という歳月を要した。もしこの通院と長屋先生の治療がなかったら今の私の存在はあったであろうか。10年前、私はあたりが薄暗く感じられ、ただ息苦しく、死ぬのではないかという不安で自らをコントロール出来ず、妻に支えられなければ立ち上がることもできなかったのである。親戚の薦めに従って大枚はたいて無益な漢方に明け暮れていたらどうなっていたか、どこか他の病院でステロイド漬けにされ骨をやられて寝たきりになっていたか、あるいは暗い夜に突然の発作による窒息により絶命し人生を終えていたかもしれない。でも私は今元気に生きている。それは長屋医師による米国並みの最新の減感作療法すなわちアレルギー免疫療法を受け続けてきたからである。
2.日本のアレルギー根本医療環境の貧弱さ
では、今の日本に私を治してくれた37種類のテスト溶液と治療液があるであろうか。(→ない。)
その前に、そもそも37種類のアレルゲンが如何にして特定されたかから説明が必要ではないか。それは100種類を超えるアレルゲン(すべて米国製)で皮膚テストした結果判明したのである。(→十分なアレルゲンもなければ皮膚テスト溶液も注射液もない。不完全な結果しか得られない血液テストしか行われていない。よしんば血液テストでアレルゲンが判明しても減感作のための注射液が限られている。→テスト代を払っても注射はしてもらえないのが実情。)
現在の日本には花粉についてはテスト溶液で12種類、治療液で4種類(うち重要なものは2種類のみ)しかない。花粉以外では、私の最も反応の強いダニのエキスがテスト溶液・治療液ともに標準化されたものがないという。更に私にとって重度の反応のある数種のカビについても米国には19種類あるのに対して5種類しかなく、日本には殆どないと言っていいに等しい。スギ花粉症のひとの4人に3人はヒノキの花粉症があり、さらに2人はマメノキ・オリーブ・ニレ・カシ・ヤナギにも花粉症をもっていることが臨床上明らかになっている。このことからもスギ花粉症の患者にスギだけ注射してアレルギーが治るはずがないのは明らかである。
この状況が日本で減感作療法が効かないといわれる唯一の原因だと聞いている。私が今こうして普通人の生活が出来ているのはアメリカから輸入されたテスト溶液・治療液によっている。日本にあるものだけの治療では私の快適な今はなかったと断言できる。
日本では50年前からこの状態が変わっていないと言われている。
3.日本のアレルギー医療を阻んでいるものは何か。
 少なくとも二つのことが考えられる。
@ かつて減感作療法が初めて日本で始められた頃、東大の現役学者が喘息を患らっていたことから自らの手製のエキスで自分に注射しアナフィラキシーをおこして死亡した事故があったという。この事故以来、特に東大系の学者の間に減感作療法に対する恐怖が広まり、アレルギー学会の趨勢としても、医師にとってより安全な薬物による対症療法に傾斜していったという見方をする人もいるという。減感作療法においても、特にダニへの恐怖が強く、ハウスダスト(中身が何だか不明な、しかしダニよりは安全?→中身が不明ゆえに危険なはずだが)による代用の習慣ができたようである。学者の間に恐怖による科学的思考の放擲が続いているのだろうか。海外では患者救済のために減感作療法の技術が日進月歩を遂げている間に、日本では50年前の減感作療法がいまだに続いている。これは許し難いことではないであろうか。
A 大学内の既得権益争いも関連しているようである。
ある大学でアレルギー学部の新設の話が持ち上がった。教授会で学部新設の討議がなされたが、耳鼻咽喉、皮膚、小児、各学部その他の学部からの強い反対で否決されたという。患者救済のための討議ではなく各学部の権益争いのうちにこのアレルギー学部新設のアイデアは葬り去られたという。
以上、@、Aの事実から日本の医学界が如何に患者を無視した状況にあるかがわかるであろう。
4.学界も政府も患者のための医療をやってきていないと言ったら言い過ぎであろうか。アメリカでもフランスなどのヨーロッパでも普通に行なわれているアレルギー免疫療法(最新の減感作療法)がなぜ日本だけで行なわれていないのであろうか。私はアレルギー患者を薬漬けに放置し続ける厚生労働省・日本のアレルギー学会に翻意を求めたいと強く希望したい。厚労省はアレルギー学会に長年に亘り国民の血税を注ぎ学会はその血税をアレルギーの苦しむ国民を救うことのできる(WHOが認める)根本治療法であるアレルギー免疫療法(最新の減感作療法)の実施拡充に努めるべきである。にも拘わらず、対症療法としての薬物療法に集中している。これは患者の苦しみを一時的に和らげるだけの弥縫的な治療法に過ぎず、ただひたすら製薬会社を利する結果になっている。何とかこれを改め、患者のための治療を日本に実現して欲しい。
八.日本のアレルギー医療の改革のために
私は我々アレルギー患者が根本治療を受けられるようになるためには日本のアレルギー医療の改革が必要であると叫びたい。アレルギー医療の主役である日本アレルギー学会、厚生労働省に対して日本のアレルギー医療の改革のために次の提案をしたいと思う。
最重要点
T。薬物による対症療法はアレルギーを一時的に抑える弥縫的な治療法に過ぎない。対症療法はアレルギーによる修復不能な呼吸気道のリモデリングを根治することはできない。
U。アレルギー免疫療法(徹底した減感作療法)は アレルギーを治せる唯一の根本治療法であることは1997年にWHOも宣言している。日本以外の先進国はすべてこの治療法を実施している。これを日本でも実施することが急務であること。そのためには日本アレルギー医療改革のために以下が必要であること。
1.アレルギーの原因を突き止めること。通常、複数(20〜30)あるのでそれらを出来るだけ多く確定することが必要。
2.そのためには皮膚テストが必要であること。殆どの医師は血液テストしかしていない。血液テストでは小児やアレルギーになりたての患者には発見できず、見逃す可能性大。〈アレルギーテストは体内のIgEの有無・量を測ることだが、IgEはアレルギー反応とともに身体の外表(皮膚・
呼吸気道・鼻胃腸壁など)にまずたまり、その部分に十分たまってから残りが血液中にたまってゆく。〉
3.そのためには十分なテスト溶液が必要であること。日本には限られており、これを早急にふやす必要がある。
4.テストで分ったアレルゲンの減感作注射が必要であること。
そのための注射液が必要であること。→十分にない。
5.その注射をすることの出来る医師がいなければならない。→いないと言って良いほど限られている。
6. 以上につき日本アレルギー学会は何をしているか→対症療法に終始。
国民の少なくとも3割(4千万人)が何らかのアレルギーに悩んでいるという現実の中で、厚生労働省は、国民がアレルギーから解放される唯一の根本治療法であるアレルギー免疫療法(徹底した減感作療法)に目をつぶり続ける日本アレルギー学会に国民の血税を注ぎ続け、徹底した減感作療法に不可欠なテスト用・治療用エキス拡充が急務であるにもかかわらず、国民を救済すべき施策への要請を50年に亘って放置し怠り続けている。
以上を改め、早急に、50年遅れたアレルギー医療改革に着手すべし。

《U》
                            東京都杉並区(女性)

私は幼児期から食べ物や動物などにアレルギーがあり、皮膚科に通ってきました。20歳の冬に犬を飼い、その頃から呼吸が不自然になり始め、歩くのが辛くなってしまい大学病院で診察を受けました。その時は過呼吸との診断を受けしばらく薬を飲んでみましたが、回復の兆しがなく、昼間も息苦しい、寝ると苦しくて起きてしまう状態になり、同じ病院で検査を受けました。結果はアレルギー喘息との診断でした。この頃からは、刺激物、例えばチョリソやキムチ、炭酸飲料などを口にするとすぐに息苦しくなってしまい、温度の急激な変化にも敏感に反応してしまう程でした。皮膚も過敏で弱かったのですが、かぶれや湿疹などでステロイド入りの薬を長い間使用したため、副作用で顔は赤く腫れてしまいました。手につける薬を勝手に顔につけてしまったのですが、この頃はまだステロイドの間違った使用に気づかず2年近く使用してしまいました。そんな状態で外出するのも怖くなってしまい、仕事を辞め家の中で過ごすようになりました。そんな日々が続いたある日、父からアレルギーの免疫をつける注射をしている病院があることを聞き早速試してみることにしました。24歳の時だったと思います。そしてその頃、伯父のいる職場で1年間だけ勤めてみましたが、やはり体力が続かず随分と迷惑をかけてしまいました。職場の方たちが皆さんとても優しい方ばかりだったので、感謝の気持ちと同時に、休んだり仕事ができなくなると申し訳ない気持ちでよく落ち込んでいたことを思い出します。その後はアルバイトをしながら免疫注射を続けました。国で認められているアレルギーのエキスをしながら、1ヶ月半ごとに腕に注射(1本)する治療法でした。ですが、3年半続けてみましたが改善の兆しが感じられず治療をやめました。
その後27才の冬にカゼをひいてしまい、喘息もひどく、家で休んでいる時に、友人が探してくれた本が長屋宏先生の『減感作療法でぜんそくは治る』という題名の本でした。何種類のもの喘息の本が並んでいる中で、題名が他の本とは全く違っていたそうです。そして私も「減感作」という言葉に興味を持ち、すぐに読みました。難しい記号や言葉などもあって全てを理解した訳ではなかったと思いますが、この治療法を受けたいと強い想いで、長屋先生のいらっしゃる久我山病院に電話を入れました。予約の患者が多数いて4ヶ月近く待ちました。受診が始まり4回に渡る検査の結果に驚きました。それは、125種類のアレルギー源のうちの96種類に2以上の陽性反応が出て、その内3以上の反応を示したものが55種類あったことです。この時なぜ3年半も免疫治療をしたにも拘わらず、症状に改善の兆しがみられなかったのか納得できました。それは50種類以上に強い反応があるのに対して、数種類の国で認められているエキスの注射だけでは、あまりに不足だったのだ、と。結果を元にできる限りのエキスを作って頂いて治療が始まりました。
この頃まではまだ犬(陽性反応4)を室内で買っていたこともあり、身体が痒くなったり、シャンプーをしてあげると途中で喘息の発作が出ていました。相変わらずカゼをひくと喘息が出てしまい、何回か救急で点滴をしてもらったり、花粉の季節、特に春には鼻が止まらず、鼻や顔の皮膚が痒く、薬なしではいられないほどでした。治療を始めて数年で、わずかではありますが改善の兆しを感じていました。喘息の薬を飲まなくても喘息が出なくなっていたからです。犬を親戚に預かってもらったことも良かったのかもしれません。2年程で、また犬と一緒に生活をするようになりましたが、できる限り喘息が出ないように防備しながら生活していました。とはいっても、本当に大好きな愛犬だったので、抱いたりシャンプーもしてしまい痒みも喘息もまた出るようになりましたが、以前に比べると症状が軽くなっていました。3年前に愛犬は亡くなりましたが、この頃からアレルギーの症状が良くなっていました。昨年の春には花粉症に殆ど悩まされることなく花見に2回も行くことができました。秋には2度カゼをひきましたが、喘息は全く出ませんでした。皮膚の方もここ10年の間で最も良い状態です。10年の間で、3回の検査(ブリックテスト)を見ても3以上の陽性反応の種類の数が減っています。

   3以上の陽性反応           2以上の陽性反応             
1997年(1回目) 55種類     1997年(1回目) 70種類
2000年(2回目) 53種類     2000年(2回目) 82種類
2004年(3回目) 36種類     2004年(3回目) 69種類

<血液検査>
血清総IgE
2002年  155 iu/ml
2004年   66 iu/ml  

2以上の陽性反応で見ても2回目の検査で種類が増えましたが、3回目の検査では一番減っています。血液の検査でもIgEが2年で半分以下まで減っています。今年は4回目の検査を受ける予定でいます。
アレルギー体質がなくなった訳ではありませんが、今は喘息で悩むことなく薬を飲まずに日常生活が送れるようになり、何よりも嬉しく思っています。治療を始めて10年になりますが、ここまでの道のりは山あり谷ありでやはり大変に辛いと思うこともありましたが、やめずに続けてきて良かったと改めて思っています。そしてこれからも治療を続けていきたいと思っています。それとともに長屋先生は言葉で言い尽くせないほど感謝でいっぱいです。
減感作で使われているエキスを国で認めてもらえることを、そして全国で悩んでいる多数の患者さんのためにも、この治療が受けられる病院が増えることを強く望んでいます。
平成19年1月

《V》
                       30歳代 主婦(東京都世田谷区主婦)

 私が喘息になったのは、中学2年の冬でした。当時は福岡県北九州市に住んでいました。
その時は風邪を引いて肺炎になりかけたのですが、初めて苦しい発作を経験しました。まずセキが止まらず、呼吸がうまくできず、食事も、歩くこと・寝ることも、横になることもできず、ただただ苦しくて苦しくて、自分でもどうしてよいのかわからず、涙が止まらなかったことを覚えています。親も初めての経験なので、どうしてよいのかわからず、とまどっていました。次の日、歩くことも困難でしたが、病院に行き、気管支喘息と診断されました。病院で点滴・吸入をしたら、少し楽になりました。それからは風邪を引いた時や季節の変わり目に発作が起きるようになりました。
発作が出た時は、かかりつけの病院で薬をもらい、吸入・点滴をしてもらっていました。その当時は年に3,4回発作が起こるくらいでした。
19歳の頃、仕事が変わり、精神的なものもあり、睡眠時間があまりとれず、ハードな生活が続いていたのですが、その頃、毎日のように発作が起きるようになりました。仕事が終わった後の電車の中で発作が起きて、そのまま夜間、病院に行ったり、毎朝点滴を受けてから仕事に行ったりしていました。はじめて入院をしたのもこの頃でした。それからは4,5回、入・退院を繰り返しました。ステロイドの副作用のせいで体重も増え、顔がパンパンになった時もありました。その頃、喘息体操をしたり、漢方薬を飲んだり、家で猫を飼っていたので家を出て部屋を借りて住んだりと、喘息についていろいろと勉強し試してみました。(薬ももう飲まなくてよくなりました)。親にもかなり心配、迷惑をかけました。それからは調子も良くなり、前のように年に3、4回発作が起きる程度でした。でも、前よりは呼吸の仕方や楽な姿勢がわかるようになったので、気持ち的にも楽になりました。
22歳の時、仕事で福岡から東京に行くことになりました。23歳で結婚し妊娠。その頃は年に何度か軽い発作が起きる程度でした。そのまま東京で暮らすことになったのですが、仕事を辞め1日中家にいるようになってからは、毎日毎日自分の家族、友達、生まれ育った町のことを思い出しては泣いていました。マタニティーブルーだったこともあるのでしょうが、とにかくひどいホームシックにかかっていました。そんな精神状態だったからか食事もほとんどとれず、妊娠しているのにあまり体重が増えませんでした。
出産のため福岡の実家に帰り、無事、発作も起こらず、2,422.8gとやはり小さかったのですが、元気な女の子を出産しました。

退院して実家にもどって1週間くらいしてからセキが出るようになりました。「風邪を引いたのかな?」と思っていたのですが、変な苦しいセキがずっと続くのでおかしいと思い病院に行ったら、喘息と診断されました。久しぶりの喘息だったのでその苦しさを忘れていて、「これが喘息だったの?」とびっくりしました。それからは日に日に悪くなり、とにかくセキがひどく声が出なくなるほどでした。
実家から東京に戻ってもそのセキは毎日続きっぱなし。主人の友人に喘息専門の病院を紹介してもらい、家からは遠い場所だったのですが、毎週義父が車で連れて行ってくれました。
子どもが生後4、5ヶ月の頃、急にはげしい発作が起きて夜に救急病院に行き、ボスミンを打ってもらい、点滴を受けて落ち着きましたが、何ヶ月もこの状態が続いているようなら入院しなさいと言われ、すぐ入院しました。それからは、退院しては発作が起きて毎日点滴を受けに行き、夜中も発作が起きれば注射、点滴、吸入の繰り返し。そしてまた喘息がひどくなってきて、5、6回入退院を繰り返しました。毎日セキ、発作が起き、普通の生活どころか子どもの世話もできないくらいでした。
その頃、喘息にいいと聞けば何でも飛びついていました。「あそこの病院がいいよ。」と聞けばそこに行き、漢方薬、健康食品、はり、お灸、その他いろいろありますが、1つの物、場所でなく、何でも試しました。中には怪しいものもありましたが、藁にもすがる思いでした。家では主人が取り付けてくれた酸素を毎日夜にして寝ていました、
ステロイドを飲み始めると、少しは呼吸も落ち着き、普通の生活も送れるようになりました。けれどもセキは毎日出ていて、呼吸が「ヒューヒュー」といっていました。

2年くらいステロイドを飲み続けていた頃、2人目の子どもがほしいと当時の先生に相談しました。「じゃあステロイドを止めよう」と言われその日からステロイドを止めることになりました。その後は日が経つにつれて調子が悪くなり、セキが止まらない、息はできない、食事はできないという状態でした。1,2ヶ月経った夜、急に息ができなくなり、いつもの発作と違うと思い、主人にすぐ行きつけの救急病院に連れて行ってもらいました。そこには若い整形外科の先生しかおられなくて「あまり強い薬は使えない。」と注射はしてもらえず、とにかく吸入、点滴をしてもらいましたが良くならず、その先生に「これ以上わからない」と言われ、待合室で待たされていました。息もできず座っているのもとてもつらかったです。そんな時、主治医の先生がたまたま忘れ物を取りに病院に戻ってきたところ、私に気付いて診てくれることになりました。そして注射、点滴をやってくれました。それで前よりは少し良くなったもののまだまだ息苦しさは変わらず、点滴をしながら疲れてきてぐったりとなっていました。点滴の2本目が終わった頃、息ができなくて苦しく、だんだん意識がなくなり、スーッと逆に気持ちが良くなり、周りが真っ暗というより黄色で明るかった気がします。「あっ、これは死ぬな。」と感じました。主人、子ども、親、友達、それまでの26年間の全てのことを早送りで思い出しました。それからは全く記憶がなく、後で聞いたのですが、呼吸が止まり、先生、看護師さんたちがあわてていて、それを待合室で見ていた主人は何が起きたのか、その状況を見て足ががくがくして震えが止まらなかったと言っていました。先生に「2,3日もつか…。会わせたい人にすぐ連絡してください。」と言われたそうです。私の母も福岡からすぐ来てくれました。
気がつくと私は重病人の患者の部屋に入り、人工呼吸器を付けていました。2、3日経つと、主人は先生から「回復に向かっているので安心していい。」と言われたそうです。先生、看護師さんも驚いていて「奇跡だ」とおっしゃっていたそうです。1週間は薬で眠っていたのですが、目が覚めて私はびっくりしました。まず「生きている」と感じ、となりには主人がいて、先生、看護師さんにやさしい笑顔で言葉をかけてもらい、私は助かったんだな、と実感しました。まだ話をすることもできなかったのですが、話したい事、聞きたい事がたくさんありました。自分では夜、病院に行って点滴してもらってからは記憶がなかったので…。(あとで先生に聞くと1度は心停止したそうです。)
それからはだんだん回復し、3週間ほどで退院することができました。退院後は、ステロイドを飲み続けたほか、他の薬も飲み、1週間に1度病院に点滴をしていました。ある日、私の担当医が他の病院にお移りになると聞きました。そこは家から遠い場所で、通院することはできませんでした。悩んでいた時、義父から久我山に喘息専門の有名な先生がおられるらしい、と聞きました。義父はタクシーの運転手なので、いろいろな噂を聞いていたのです。良いきっかけだと思い、これまでの病院に通うのは止め、久我山病院アレルギー科の長屋宏先生に電話をし、予約しました。

長屋先生に初めてお会いした当日は、それまでのことを話し、当時飲んでいた薬をお見せしました。長屋先生がすごく怒っておられたのを覚えています。まず2年近く飲んでいたステロイドを急に止めたこと、そんなことをすれば症状がひどくなるのは当たり前だと言われました。痰を抑える薬も飲んでいたのですが、痰は出さないといけないのに、そんなことをしたら痰が切れないでしょう、と言われました。
それからは長屋先生の御指導の下、週に2、3回、減感作の注射を受けるため久我山病院に通いました。減感作の注射を打つようになってからは、日に日に自分の体調が良くなっているのがわかりました。それまでは毎日セキが出て、話をする時もゼーゼー、ヒューヒューと喉が鳴っていたのに、セキも出なくなり、楽に呼吸ができるようになりました。とにかく安心して毎日を過ごすことができるなんて本当に幸せです。
長屋先生に初めて診てもらってから9、10年経ちましたが、その間発作が起きて夜に病院に行ったことは1度もありません。大きな発作が起きたこともありません。年に2回の衣替えの季節に呼吸が苦しくなることはありますが、吸入すれば治まるようになりました。
今までは喘息のせいで、特に出産後はひどく毎日が苦しく不安で、家族のみんなに不安をかけていました。けれども長屋先生に出会ってからは、そんな苦しい思いをしていたのがまるで嘘のようです。ステロイドも少しずつ減らし、2、3年で止めることができました。平成16年7月に無事に待望の2人目を出産することができました。もっと早く長屋先生に診て頂ければよかったとは思いますが、これからも長屋先生の下に通って治療を続けていきたいです。

今はアレルギーの方がすごく多い時代です。喘息で苦しんでいる人は大勢いらっしゃると思います。1人でも多くの方にこの減感作療法という治療法をお教えしたいです。
知り合いで喘息の方を聞いて2人ほど長屋先生に紹介しましたが、2人とも嘘のように良くなったと喜んでいました。
最後に、7年間も一緒に私の病気とたたかってくれた主人と主人の家族、私の両親にありがとうを言いたいです。面倒を見てやれなかった子どもへ、ゴメンネ。

《W》
体験記
男性61歳(東京都新宿区在住)

私が9歳の時、初めてぜん息の症状が出ました。息ができない苦しさは本人にしか解らないつらいものです。
 このとき以来、「治りたい」、「治るなら何でもしよう」と思い医師に指示された薬物療法は勿論のこと、漢方薬の服用、鳥の生き血やなめくじを飲んだり、等々、西洋医学から迷信に至るまで、あらゆる試みをして参りましたが十分な効果は得られませんでした。代わりに体力造りに励みました。
 体力がついてくるに従い発作の頻度は減ってきましたが季節の変わり目には、定期的に発作が起き、安定した生活ができない状態が続いていました。
 50才を過ぎた頃、花粉症によるアレルギー性鼻炎が進行しているなか、ぜん息の発作が起き、寝たきり状態になってしまいました。病院での治療は「ぜん息は治りませんからね」と、まともに相手にされず、対症療法(一時的に症状が改善されても薬を止めれば再発し悪化)である気管支拡張剤・ステロイド・抗アレルギー剤などを使い続ける、まさに薬漬けの毎日でした。しかし、強烈な発作にはこれらも効果なく、苦しみのどん底に喘ぎ、死を考えるようになりました。またステロイドの副作用で身体の部位に異常が起き、別の不安も抱えることになりました。
 3年間苦しんでいたある日、近くの本屋さんで「ぜん息は治る」(長屋宏著)という本を見つけ、さっそく買い求めて読んだところ、これは本物だと思いました。先生の経歴(フルブライト留学生)、米国における実績あるアレルギー治療法=米国式減感作療法を修める)から、ぜん息の原因がアレルギーにあって、その治療法は抗原(ダニ・花粉・カビなどに対する抗体反応=炎症を起こすもの)を抑えこむための物質(抗体)を体内に植えつけ、反応を阻止する免疫療法と理解しました。
 海外の医療事情に詳しい友人の話から、「免疫療法は治療期間が長く、忙しい現代人はすぐ結果を求めるため、治療が続かない。また医療制度上のこともあり日本では普及していない。しかし、欧米では実績があり、非常に効果の高い治療法である。」と聞き、確信が持てました。
 まず、アレルギーの皮膚テストを受けたところ、125種類のアレルゲンのうち43種類に反応があり、特にダニ・スギ・カビに強い反応が出て、多種のアレルゲンがあることが判りました。先生から発病の原因やメカニズムの説明を受け、その指導のもと、まずアレルゲンを回避する対策(室内の徹底した清掃)、そして、皮膚テストの結果に基づきダニなどの反応のあったアレルゲンのエキスを作り、皮下注射による減感作療法(私の場合、3年間は2日に1回、以後は3日に1回の割合)を始めたのです。症状が安定するまでの2〜3ヶ月は薬物療法を併用し、その後は減感作療法のみでも発作が起きないようになりました。先生の治療が始まってから今日に至るまでの5年間、一度もぜん息が起きておりません。また、花粉症の鼻づまりで口でしか呼吸できなかった鼻炎も治りました。まさに奇跡が起きたのです。この結果を受け、二人の子供(花粉症・アトピー性皮膚炎)にも週1回治療を受けさせ良くなっております。
 現在、わが国で推定4千万人いると言われているアレルギー患者の中で、長屋先生は
16年アメリカから帰国され延べ1500人の患者を診てこられました。
その1500人の中の一人になれたことは、宝くじに当たったに等しい幸運を手に入れた気持ちです。我々患者は救われていますが、まだ多くの人々が昔の自分のように適格な治療法方がわからないままさまよっています。この現状に対し、日本アレルギー学会・それに連なる医師および国は長屋先生の治療法を認めようとしておりません。WHOが認める唯一の根本治療法をなぜ普及させないのでしょうか。
 その理由は、「知識がない」、「知ろうとしない」、「注射は手間がかかるが薬の投与は簡単」「薬は一時的に症状を抑える故に医師は自己満足できる」、「減感作は儲からない」、「薬漬け政策」、「独自で開発したい権威主義」、「国からの研究費の確保」、「保険制度の不備」、などさまざまでしょう。その結果、日本のアレルギー診療は欧米に比べ50年も遅れてしまいました。この遅れを取り戻すためすべてのアレルギー患者は声を上げる必要があります。なぜなら我々患者がこの遅れの唯一・第一の犠牲者だからです。
 私はこれまでの体験を顧みて、「現代医学は一病治すが一病作る」と言われる意味がよくわかりました。アレルギーについてもまた抗生物質の大量投与により患者の増大を引き起こしたのでしょう。副作用の多い薬物による対症療法を減らして免疫療法や予防医学が現代医学の主流となることを願うものであります。
                                      以上
《X》
減感作療法による私のぜんそく治療体験

                                 男性 70歳

 私は減感作療法は、月日のかかる治療法ではないかと思っております。現在は長屋宏先生の治療を受けてから15年間は、点滴、入退院、駆け込みもなく、坂道、階段、また足早に歩けるようになり、普通の生活が出来るようになり治療効果が上っていると思います。

 最初に体験したのは、勤務先の帰宅途中のことでした。運転中、突然激しい咳、痰、呼吸の苦しさに襲われ、運転が出来なくなり、運良く目の前に病院を見つけ、診察をしてもらった結果、気管支喘息と診断され、即入院となりました。点滴、のみ薬(7種類位)を服用し、15日位で退院しましたが、3ヶ月後に発作を起こし、点滴後、楽になりましたが、それ以後発作の回数が多くなり、薬の知識もなく不安に感じていたところ、TBSテレビ「ニュースの森」で減感作療法を知りました。さっそく予約を取ってから、3ヶ月後に長屋宏先生に面会し減感作療法の説明を受け、125種類の皮膚テストを受けた結果、かなりのアレルギー反応が出て驚きました。現在も治療を行っていますが、通院に片道3時間もかかり近くに治療が受けられる病院がないのが残念です。現在は風邪を引いても、くしゃみ、鼻水などの症状も少なくなり楽にすごしております。
 以上、私の体験談と致しますと共に長屋宏先生には深く感謝致しております。

《Y》
                         東京都 自由業(45歳)

私は京都の出身です。ぜん息を発症したのは2歳の頃でした。物心のつかない頃からぜん息発作に悩まされていました。小学校の頃は、ぜん息発作のため多くの日に登校できませんでした。発作が起きると呼吸困難に陥り、とても苦しく、こんなに苦しいのならいっそのこと死んでしまいたいとたびたび思ったのを、今でも憶えています。両親はいろいろと手を尽くしてくれましたが、あまり効果的な治療法にめぐりあうとはできませんでした。「小児ぜん息は大人になれば自然に治る」という医者の言葉だけが頼りでした。
小学校5年の時、京都市内での引越しを経験しました。それでぜん息発作の起こる回数が少し減ったように思います。しかし中学・高校生になっても、季節の変わり目や、梅雨・台風シーズンなどのじめじめした天候の日になると、必ずといってもよいほどぜん息発作は起きました。発作が起きるたびに医院に通院し経口ステロイドを服用して、発作を抑えるということを繰り返していました。また当時は鼻水がよく出る日もあったのですが、まだ花粉症という言葉もない時代で、どのように対処してよいのか分かりませんでした。
大学入学時に東京に上京しました。環境が変わったのがよかったのか、上京してからはずいぶんぜん息発作の起きる回数が減ったように思います。大学時代には発作は一年に数回で済み、いちおう落ち着いていました。
しかし、卒業・就職すると、また発作が起きる回数が増えました。今から考えると、のん気な学生生活から肉体的・精神的にストレスの激しい仕事生活に入った影響ではないかと思います。
そこで、仕事のない土曜日に大手病院に通院することにしました。そこで初めて減感作療法というものを受けました。ただしハウスダストだけの注射に止まっていました。テオフィリン系を中心とした経口の気管支拡張剤を毎日服用することにより発作を予防し、週末の土曜日にハウスダストの減感作治療を受けるというのがその大手病院の治療法でした。同病院の担当医師によれば、他に良い治療法はなく、またこの治療法を継続していれば徐々に症状は良くなるということでした。なおそのような中で27歳の時に結婚しました。
しかし上記のような治療法を続けても、あまりぜん息が快方に向かいつつあるとは思えませんでした。むしろ天候がじめじめしたり、仕事が忙しくなって疲れがたまったりするとたびたび発作が起きるようになりました。その頃にはぜん息発作のため有給休暇を取ることを余儀なくされたり、帰宅途中で呼吸が苦しくなり駅から自宅まで妻の肩にすがりながら歩いたこともあります。そこで大手病院でシオゾールという金製剤の注射を受けたり、吸入ステロイドの処方を受けたりしました。特に吸入ステロイドは、朝夜に処方されたとおりに服用しました。

しかしこれらの治療法もあまり奏功しませんでした。それどころか、数回にわたり、重い発作を起こし入院治療を余儀なくされました。時には外出許可を得て病院から勤務先に通勤したこともあります。だんだん経口ステロイドが手放せなくなり、自分で発作が起きそうだという予感がすると、先手を打ってステロイドを服用して発作が起きるのを予防したりしていました。
やがてこのままでは仕事が続けられなくなるという危惧を感じるようになり、それどころかいつ死んでもおかしくないという生命の危険すら感じるようになりました。たまたま同じ勤務先の会社で、私と同じように重いぜん息症状を抱えていたのに、ある先生の許にかかってからは急に快方に向かった方がいるという話を聞きつけ、その方にその先生を紹介していただきました。それが久我山病院の長屋宏先生だったのです。平成5年(1993年)の末、32歳の時でした。
長屋先生に多数のアレルゲンについて皮膚テストをして頂いた結果、ダニに強い陽性反応が出たほか、各種のカビ・花粉等、多数のアレルゲンについて陽性反応が出ました。長屋先生によれば、このように多くの原因物質が存在するのにハウスダストだけの減感作注射だけでは効果が乏しいのは当然であり、これら陽性反応の出たすべてのアレルゲンについてその陽性の程度に応じて減感作注射をすることが必要であり、かつそうすれば必ずぜん息はよくなる、ということでした。またこれまで用いてきた経口の気管支拡張剤や吸入ステロイドは、ぜん息発作が起きるのを予防・軽減するものであり、ぜん息を根治するためには上記のような徹底した減感作療法を行なわなければならない、という説明を受けました。
長屋先生の御説明は極めて合理的かつ明快で、その上詳細なものでした。真っ暗闇の中で急に光明が見えたような気持ちになったのを憶えています。そこで、それまで通院していた大手病院を止め、久我山病院の長屋先生のもとに通院する決断をしました。
長屋先生の下で減感作療法が始まると、たったの1ヶ月で早くもその効果を感じることができました。というのは、当時は季節の変わり目で発作の起こりやすい季節であったのに、一切ぜん息の兆候が感じられなかったからです。それ以降、毎週土曜日に通院して注射をしていただいてきましたが、それまでの30年間がまるで嘘のように何の発作も起こらなくなりました。また経口のステロイドの服用も一切必要でなくなりました。そればかりでなく、子供の頃から一貫して存在していた、初春を中心に鼻水が出るという花粉症の症状までがなくなりました。まるで魔法にかかったような気持ちでした。そしてそれとともに健康というのがどういうものなのか、その有難さを生まれて初めて実感することができました。生まれて初めて、ぜん息の恐怖に怯える必要のない、普通の人間の生活が送れるようになったのです。
以来、久我山病院に13年間にわたり通院しておりますが、その間一回もぜん息症状が起こることはなく今日まできています。また最近では毎週の通院は必要でなくなり、2週間の1回の注射でも大丈夫なまでになりました。今では自分は健康であると公言できるぐらい、自分の身体に自信が持てるようになりました。
このように30年間にわたるぜん息を治し、健康な身体に作り変えて頂いた長屋先生は、私にとってまさに命の恩人であり、どのような言葉で持って感謝すればよいのかわかりません。いくら感謝しても感謝しきれない気持ちでおります。



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2007年11月03日

長屋宏医師の講演議事録を再掲載

昨年9月に掲載しました標記の記事がブログから抹消されていますので再掲載いたします。
日時      平成18年9月28日 午後7時〜8時45分
場所      四谷区民センター11階集会室2・3(新宿区内藤町87)
議事録作成者  as

アレルギー理論の淵源
 アレルギーは最近でこそ花粉症などとしていろいろ問題になっていますが、人間の病気としては比較的最近に認知された病気です。実際には1800年代、物の本によれば1600年代が最初という説もありますが、花粉症のはしりとして医学論文が医学雑誌に現れたのは1819年J.Bostock(ロンドンの医師)によるものが最初です。『目と胸の周期性のやまい』(Case of periodical affection of the eyes and chest)という題名で自分自身の症状についての論文が発表された。当時はこのやまいの原因が花粉によるものとは結びつかなかったが、1870年代後半になって、このやまいが花粉症であることが知られるようになった。当時、顕微鏡の発明と共に色々な細菌の存在が確認され、いろいろな病気が細菌によって起こることが分かり、例えば1883年にジフテリア菌が発見され、1888年にフランスのパスツール研究所でジフテリア菌を培養し、無毒にしたジフテリア菌の毒素を注射することによってジフテリアに対する予防が可能だということが分かった。それ以来、ジフテリア、百日咳等、いろいろな病気が病原菌さえ見つかれば予防注射によって病気が起こらないということが知られるようになった。このような時代を背景に、当時、ロンドンのセントメリー病院の予防注射科でNoonという医師が、当時は花粉症とは言っていないが、hay feverと呼んでいた症状につき、その原因が花粉のなかに毒素が含まれていて、可能性として、その毒素のためにその症状が起きているのではないかと考えた。もしそうであれば、病原菌に対する予防注射と同じように、花粉の毒素を取り出してその毒素に対して予防注射をすれば花粉症らしき症状も治せるのではないかと考えた。しかし、その毒素があるとしてそれをどうやって取り出すかの方法もわからなかったが、花粉の中に毒素があると仮定して、花粉のエキス(抽出液)を作り、その原液を10倍、100倍、1000倍、10,000倍、100,000倍、と薄めることによって、その希釈液を、薄い順に、徐々に増量しながら、注射局所に反応がないことを確かめて、例えば0,03、0,05、0,07、0,10、0,20、0,30ccずつ注射していくことによって体がそれに対応して徐々に濃くなる毒素に慣れて抵抗力(resistance)をつけていくと考えた。このような注射を続けることによって多々起きることは注射後腫れるとか痒くなるなどの症状がでるので、その時は量を進めないで同じ量を再度注射するという方法を繰り返していって、最終的には最高濃度に到達することによって理論的にはそのエキスの中に入っているかもし知れない毒素に対する免疫もできると考えた。それが今日行われている減感作療法のはじまりで基本的には現在我々がやっている減感作療法と同じです。ただ、実際には花粉の中に毒素が入っているわけではなく花粉のエキスのなかにアレルギーを起こす、その植物の蛋白質が入っているのであります。この反応をNoonは花粉の毒素に対する『原因不明な過敏性』(idiosyncrasy)と定義して、毒素に対して免疫をつくることによって症状を抑えることが出来るという考えを発表した。
呼び名の変遷
 Noonはこの注射を予防注射(Prophylactic innorculation)と呼んだ(1911)。彼は結核を患っていてその後2・3年で死去したが、彼の友人のFreemanがこれを受け継いで、予防注射についてVaccinationという言葉を使った(1914)。その後、1910年代後半にはこの動きが米国にも伝わり、Coocke RJははじめは『脱感作』(Desensitization)、その後、1922にはHyposensitizationという言葉を使った。これが現在使われている『減感作』という言葉の最初であった。更に、1968年に至り、ジョンズホプキンズ大学のNorman P.S.は免疫療法(Inmunotherapy)と呼んだ。また、1997年1月にスイスのジュネーヴで世界保健機構(WHO)の‘アレルギーの治療に関する会議’があり、『アレルギー免疫療法』(Allergen immunotherapy)という言葉が使われ、エキスについてもワクチンと言れるようになった。
 日本で最初に減感作治療が行われたのは1958年で、それ以来、当時の治療法が殆ど改良されずに今日までそのまま行われている。呼び名まで古く、名にふさわしい、幼稚なママゴトのような治療が現在でも行われているのが実態です。
アレルギー反応とその原因の探求
そもそもアレルギーとは何かということについて、語源はギリシャ語でAllos(違う)とErgon(エネルギー・反応)=違った反応、=つまり、‘普通の人とは違った反応をする’ということであります.。
嘗て、なぜ違った反応をするのかが分からなかっ時代を経て、1921年に、ドイツでクュスナー(魚にアレルギーがある)とプラウスニッツ(魚にアレルギーがない)という二人がこの違った反応を起こす何かが人の血液の中にあるのではないかと考え、ある実験をした。クュスナーの血清をプラウスニッツの皮膚の表面に注射し24時間後にその注射した箇所に魚のエキスを注射したところアレルギー反応ができた。このことはアレルギーのある人の血清のなかにアレルギー反応を起こす異常な物質があるという一つの証拠になった。しかし、それが何であるかはその後40年以上にわたりわからなかった。
免疫グロブリンIgEの発見とその働き
@免疫学は1950年以降急速に進歩したが、1966年に至り、石坂公成博士が当時知られていた免疫抗体IgG、IgA、IgM、IgDに加えて、免疫グロブリンIgEというアレルギー反応をおこす新しい抗体を発見した。IgEの量は免疫抗体の中で一番多いIgGの10万分の1しかなく当初はその存在を疑問視する動きもあったが、1967年にスエーデンで免疫グロブリンEを作つくる多発性骨髄腫が発見されてその存在が確認された。
以上から、IgEはアレルギーを起こす原因であるということがわかり、アレルギーになり
易い人はIgEという抗体を遺伝的にもつくり易い体質を持っているということが言える。       Aところが、スエーデンで多発性骨髄腫を研究していた研究者達がたまたまアフリカで回虫に感染している子供たちの血液中に通常の人の30倍ものIgEがあることを発見した。このことから、寄生虫に感染している人の場合にもIgEが寄生虫から身体を守る働きをしているのではないかと考えられた。この考えは今でも正しい。寄生虫が入ってくる身体の場所は身体の外表(皮膚、鼻の粘膜、呼吸気道、胃・腸など)ですから、IgEは寄生虫から身体を守る働きをするためにこれらの近くに分布しています。これらの外表近くにマスト細胞があり、其の細胞膜の外側にIgEが着いていて寄生虫を待ち構えている。マスト細胞の中には顆粒があって、そのなかにはヒスタミンその他のいろいろな化学物質が入っている。寄生虫が身体の外表を通って中に入ってくると、待ち構えていたIgEは寄生虫と反応してマスト細胞内の顆粒を放出する。放出された化学物質のうち、ヒスタミンは神経を刺激して痒みを惹き起こす。また血管を広げて血液の中の水分を血管からもれ易くする。そして血液中の白血球も出易くする。この白血球が侵入してきた寄生虫をやっつけるという仕組みだと考えられています。この仕組みは寄生虫を防御するためには有効であります。
Bアレルギー反応はアレルギー体質の人にとって、花粉その他が呼吸気道に達してそれらのたんぱく質が粘膜に吸収されると、吸収された花粉のたんぱく質がIgEと反応すると寄生虫侵入のときと同じようなことがおこる。すなわち顆粒が外に押し出されてその中からヒスタミンなどの化学物質が出てこのヒスタミンが粘膜にある神経を刺激して痒みを起こしたり、そこにある粘液腺の粘液分泌を亢進させる、したがって鼻水が出たり、血管を膨張させ、その結果、血液中の水分がもれ出てそこにたまればそこが腫れるので鼻づまりをおこすという花粉症の症状となる。同じようなことが気管支についても起こる。気管支に花粉やダニが付着すれば、ヒスタミンが出てその結果、粘膜から水分が出ればそれは痰になるし、粘膜を腫れさせるので空気の通りを悪くさせる結果、呼吸するたびにゼイゼイという喘鳴音が出たり、呼吸が苦しくなって典型的な喘息症状を起こすことになる。
減感作注射によるアレルギー症状の抑制の理論
@ 1970年代まで
減感作治療注射をする結果として、あらかじめ注射を受けた結果、もう一つの免疫グロブリン(IgG)ができて、この抗体は普段から血管から出て粘膜の組織をパトロールしている。もしも花粉を吸い込んで花粉のたんぱく質が粘膜から吸収されたときに、花粉のたんぱく質がマスト細胞のIgEと反応する前にIgGが結びついてIgEと反応することを妨害するのでヒスタミンを含んだ顆粒を出せというメッセージが出ない。そのためマスト細胞に変化が起きないため、アレルギー症状も喘息症状も起きないと考えられていた。これは現在でも理論として間違いではないが、今では更に進んだ説明が可能になっている。
A 現在の理論
そこで、何ゆえにIgEなるものがアレルギーを惹き起こし人間を苦しめているかというとについてでありますが、1996年から言われていることですが、いまだに、IgEは寄生虫から身体を守るためのものであるはずのものが、どういうわけか花粉なりダニなりを寄生虫と誤認して反応してしまうと考えられている。実際には、アレルギーにならない人がアレルギーにならないのは誤認することを防ぐ細胞があるからと考えられています。〔後述の質問3への回答中のTR細胞〕
国際会議(WHO)によって減感作療法はアレルギー症状を抑える唯一の根本治療と認められた
1997年ジュネーヴで開かれたWHOの国際会議では、減感作療法は完全に避けることができない花粉やダニに因るアレルギーを治す唯一の根本治療法であり、これに対して薬は、どんなに良く効く副腎皮質ホルモンのような薬でも身体から代謝されて出てしまえばその効き目はその時点でとまり、病状は良くなることはなく漸次悪化の一途を辿ることになるということが確認された。この会議には、日本からも、東大の伊藤孝治、熊本大の石川哮、両先生が出席した。しかし、日本ではその後も減感作療法は無視されて今日に至っている。
アレルギーの原因となる個々のアレルゲンを発見するには血液テストよりも皮膚テストがより有効且正確
@アレルギーの治療のために何が一番大事かということですが、結局何がそのアレルギー症状を起こしているかということです。それを見つけるためにはテストが必要です。1966年に、石坂先生が血液中にIgEという抗体があるので、例えばIgEはスギならスギ、ダニならダニに対して別々に血液から見つけることが出来ることを発見した訳ですが、実際には皮膚に直接テストする方がはるかに感度が高い。血液テストについては感度が低いので血液テストだけでアレルギーがあるとかないとか判断していると見逃す可能性がある。一番見逃し易いのがアレルギーになりたての人です。
A最近は喘息で死ぬ人は減っていると言われていたがこのところまた増えてきている。特に子供が喘息になる率は20年前の倍になっている。日本は少なくとも減感作治療に関しては劣等国であります。
BそもそもIgEは身体のどこで一番作られるかというと、扁桃腺とアデノイドであります。昔は良くないものとして切除していたが、免疫学の進歩とともに扁桃腺とアデノイドは免疫をつけるための細胞が発達するところだということが判りとらないほうがいいということで、以後切除しなくなった。
IgEの本来の目的-寄生虫から身体を守ること-からして身体の表面に近いところ、例えば皮膚のすぐ下とか呼吸器の粘膜の下のマスト細胞についている。生まれた子供のIgE抗体についてですが、IgG抗体は胎盤を通過できるので母親の免疫力が生まれた子供にも半年ぐらいは続くというのはこのためです。その後は自分で作らなければならなくなる。IgEという抗体は分子量が大きく胎盤を通らない。したがって赤子のIgEは赤子自身が作ることになる。2・3歳の子供でも喘息になるケースもあるが、この場合、花粉症というよりは家の中のホコリを吸っていることが原因でアレルギーになる。いづれにしても、IgEをつくり始めは皮膚の表面に近いマスト細胞の表面に着くので、血液の中にはぜんぜんたまってこない。何年か経ってその人の身体のマスト細胞の全部についてから、余分なIgEが血液の中にたまってくる訳です。それが何年かして血液中に十分な量がたまらないと血液検査しても反応が出ない。従って皮膚テストで明らかにダニにアレルギーがある人も血液テストで反応が出ない人はいくらでもいる。

日本のアレルギー医療体制の問題点
@日本のアレルギーの医師は皮膚テストをやらない。検査機関での血液テストの結果だけではアレルギーの原因アレルゲンを見逃す結果となっていると言わざるを得ない。もっとも困るのはその皮膚テスト用の液を日本では作っていないという点です。アレルギー学会が製薬会社にテスト用・治療用のエキスが必要なことを教えればいいわけですが、それもしない。実際に私が日本に帰ってきて、患者さんと接して殆どの人が血液テストはしても皮膚テストはしていないことを知って唖然としたのを記憶しています。さらに、日本にはテスト用(12種類)・治療用(4種類)ともに液が少なく、せっかくテストしてアレルゲンが確認できても治療液は現在ある4種類以外の場合治療できない。テスト代だけ払わされて治療してはもらえないというのが日本の現状です。この現状について、日本のアレルギー学会、アレルギーの教授、アレルギーの指導者、アレルギーの医者、だれも不思議にもなんとも思わないし、患者さんたちが困っていても自分たちには関係ないといった態度であります。特に治療用のダニエキスがないので、もし、ダニに反応が出た場合は厚生労働省公認のハウダストが使われている。ハウスダストにはダニが含まれていることが前提とされていますが、ダニが含まれていないハウスダストもあり、そのためにいくら注射しても効かないから減感作療法は効果ないと結論づけているのは不合理というべきです。50年前ならばこういうことも通用したが、1968年以降は日本の家のハウスダストの中味はダニだということはわかっています。
A日本以外の外国ではダニを純粋に培養し、単に培養するだけでなくて其の中でどういうたんぱく質がアレルギーを起こすうえで重要かということが判っていますから、それを取り出してそれがどれだけ入っているかということも含めて、いわゆる標準化-どれだけ有効か-ということを示す必要がある。日本のアレルギーの医者は50年前に始めたそのままのかたちで減感作治療を行って効かない効かないといっている。ダニが入っているかいないかもわからないハウスダストを使っているので減感作療法をやってもしょうがないと言っている。50年前のことを今でも世界中でやていると思っている。そのためにアップデートされた減感作療法を日本ではやらない。そのためにこの治療法が日本に普及しないのです。それは日本のアレルギーの指導者たちが海外の進取の医療技術に眼をつぶってWHOも認める唯一の根本治療法を推進しようとしないからです。結局、日本のアレルギーの専門医は減感作療法は効かないからという陳腐な固定観念にとらわれているのでやらない。そして他のアレルギー専門医でない医者と同じように薬の処方だけやっている。
Bもう一つ重要なことは花粉のエキスです。日本にはテスト用が12種類しかない。
これに対し、(日本で厚労省の許可を得て)日本アレルギー協会を通して入手可能な、米国政府食品・薬品局が承認した米国製の花粉だけでもテスト用・治療用ともに64種類の液があり、これらは日本においてもすべて厚生労働省の許可をとって入手可能ですから、本当にやる気があるなら、日本でも米国並みの減感作療法ができるのです。
米国から取り寄せた65種類のエキスでテストした結果、反応が上から多い順に20位までを示したなかで、一番多いのはダニですが、ダニは2種類あり日本ではそのうちの一つであるコナヒョウヒダニのエキスはあるが標準化されておらず、ただすり潰しただけでアレルギーを起こすのに重要なたんぱく質がはいっているとかどの程度の反応が起きるかのチェックもしていないエキスが厚労省によって承認されている。ないよりはいいとはいえるが。
C実際に、外来にみえた患者さんの中から無作為に100人選んだうち93人はダニにアレルギーがある。陽性の頻度の高い順に上位20位までのうち上位10位のなかでダニとカモガヤ以外にテストの液がないだけでなく、ダニとカモガヤを含めて治療液がまったくない。スギ花粉にアレルギーのある人の90%はカモガヤにもアレルギーがある。11位から20位までについてはテストできるのは、ヨモギとブタクサとオオアワガエリの3種類しかなく、そのうち治療液があって治療できるのはブタクサだけであります。ヒノキとかイネ科の草に反応を示す人は日本人の中に多いのに日本ではイネ科やヒノキの治療液はまったく作っていない。
D木の花粉も含めてこれらイネ科の花粉は同じ時期に飛び回っていますから、スギにアレルギーがあるからということでスギだけのエキスを注射しても、ヒノキとかそれ以外の木の花粉やイネ科にアレルギーがあると、患者の症状はちっとも良くならないということになる。このような状況の中で不勉強なアレルギーの医師たちは減感作療法は効かないといっているのはけしからんという他ないというべきです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

質問1今日の新聞によると、若い喘息患者は最近増えているとのことですが、大気汚染などは昔に比べれば改善してるので喘息が増えているのは室内のダニの問題で増えているのか、あるいは食物など他の何かが原因なのか先生のお考えを伺いたい。
病院で18歳以下の子供が喘息にかかっているとレントゲンを保健所に持っていき証明書を出せば医療費がただになるというのがある。大気汚染はいいわけないですが、医療費をただにするというような仕事を政治家がしているように見える。公害地域の人がすべて喘息になるわけではない。実際に公害喘息といわれる子供のアレルギーの本当の原因はダニアレルギーであります。公害そのものが喘息を起こしているのではなく、ダニが原因で喘息になっています。ところが日本にはダニの治療液がなく、治療するセンスのある医者もいない。ただなんとなくお金を出して自分たちの行き届かないところはうやむやにしている。たとえば、タバコを吸っている人すべてが喘息になるわけではない。喘息になる人の多くはアレルギーがあるからです。それと同様に公害を吸っている人すべてが喘息になるわけでなく、喘息になるのはアレルギーがある人だからです。そしてそのすべてがダニにアレルギーがあると言っても過言ではありません。日本でアレルゲンエキスを作っている唯一の会社はなぜダニエキスを作らないのか聞いた処、何億もかかるうえに作ってもだれも買って使わないと言っている。これにつき誰が悪いかといえば、日本のアレルギー学会がそういうもの使って治療すれば治るということを言わないからです。そういうことを教えないのです。あまり永い間教えなかったので教える人もいない。大学の先生も、アレルギー専門医という看板を掲げていてもやっていることはただ処方箋を書いているだけというのが実態です。この実態を学会でもアレルギーの擁護になると称しております。それで、今、私は『日本のアレルギー診療は50年遅れている』という本を書いていますが、日本としてこんなに惨めなことはないのに誰も気がついていない。国立相模原病院の秋山先生は何億(?)もの国民の血税の予算を使って日本のアレルギー研究の最大の政策責任者です。我々の税金を一番沢山使っているのはこの相模原病院の臨床研究センターではなでしょうか。理研にお金をあげて立派な基礎研究をやっている。基礎研究も結構ですが、何故に今すぐに人々の役に立つことをしないのか。(昨年10月に久我山アレルギー患者の会から代表者2名が減感作療法の普及を訴えて陳情したが体よく断られた。)喘息の原因は100%ダニアレルギーといって間違いない。ダニで減感作をやったらみんな良くなります。アレルギー学会の機関誌に数年前にある症例発表があった。子供が3年間に3回死にそうな発作を起こした症例を治療法の手本として掲載している。排便時に発作を起こるのを防ぐのは抗コリン剤(アセチルコリンというのは副交感神経を刺激するもの)、排便する時は腸を収縮することですから、腸を収縮するということは副交感神経の緊張が高まるということで、副交感神経の緊張が高まるということは気管支も収縮するので、発作が起こる結果になっている。この子供は5ヶ月間の入院中、排便の都度に病院のスタッフが付き添って、抗コリン剤の吸入(これは副交感神経の抑制剤で慢性気管支炎とか肺気腫の人に使われてはいる)させることによって、意識をなくすような発作を防いだとしているが、実際には治っていないのです。この子供は血液テストでヤケヒョウヒダニに重度のアレルギーがあるとされていますが、この症例を書いている人は日本小児アレルギー学会の理事長です。ダニにアレルギーがあると判っていて、減感作のことも、少なくともそれを避けるべきとも書いていない。あくまでも抗コリン剤を使って少なくとも致死的な発作から救った手柄話のように書いている。これは手柄話というよりまさに無知のさらけ出しと言っていいと思います。アレルギー学会も編集長も救いようもないといった状況です。皆さんに少しでも政治的力があったら何とかしてもらいたいです。あまりにも勉強しなさすぎる。外国のことを。これだけ-最新の正しい減感作療法-をやればどれだけ多くの子供たち、また大人の喘息患者を救えるか計り知れないと思います。アメリカでは普通にやっていることを日本では誰も知らない。私が声を大にして言ってもみんな知らん顔しているのが現実です。日本で減感作療法をやったことのある人は私のように年をとって昔減感作療法をやって効かなかったという経験だけが頭に残っていて、あんなものをやってもしょうがないと二言目には言う。私の言うことが信じられないのなら、実際に自分の患者にダニを使ってやってみてはと言っています。自分の患者がいかによくなるかがわかってもらえると思います。でも誰もやろうとしないのです。だからそれほど薬屋さんに興味があるのかなと言えます。やってみればこんなに効くものか、ということがわかります。減感作治療をやっていれば、小児喘息で学校を休むなどあり得ないし、入院するとか、ましてや死ぬなど考えられません。現実には小児喘息を含めて毎年何千人も喘息で死んでいます。あまりにも日本のアレルギー診療の不甲斐なさを感じます。佐藤氏や広瀬氏が陳情に行っても適当にあしらわれ、学会も厚労省も新聞社も相手にしてくれない。一時期、私のところにも取材にきて、1年に3回もTVに出たこともありますが、それは一時的なお祭りのような取材の仕方で広まるどころかそれっきりで終わっている。本日は私の言いたいことの十分の一も言えませんでしたので、私の本が出版されたらお読み戴ければ私が何を言いたいのか判っていただけることを期待いたしております。どうも御静聴有難うございました。
質問2 患者から一言
私は子供と共に先生のお世話になっている者ですが、私は子供のころから長年、喘息の発作に悩まされておりました。子供のころの記憶としては喘息の記憶しかないぐらいひどかったのです。大人になってからも治らなくて入院も長くしましたが、1993年になって先生の治療を受け、一ヶ月で治りました。ほんの一ヶ月です。夢みたいでした。それ以降、
13年間先生のお世話になっています。其の間、一回も発作が起きていないのです。それほど先生の減感作療法は効くのです。逆に先生にお目にかかってこの治療を受けなかったら、今頃死んでたかもしれない。まさに先生は私にとって命の恩人でございまして感謝の言葉もないくらいです。私の息子-小学校5年生-は喘息ではないですが、ちょっとアレルギーがあり、鼻水が出るとか、皮膚のアレルギーでした。昨年、先生のお世話になって半年、一年で鼻水がでなくなり、皮膚も良くなりました。これらの原因は花粉症かとまわりから言われていましたが、実はダニが原因でこういう症状が出るのではないかと私は思っています。ここにおられる先生の患者さんはみなそうだと思うんですが、先生には一年でも長く頑張っていただきたいと、心底から思っています。同時に、私たちのやるべき行動の論点が二つあると思います。一つは、製薬会社によるダニ、ダニを中心としたアレルゲンの開発、厚労省による認可、これを何とかしてもらうこと。もう一つは、減感作療法を一人でも多くのお医者さんに普及していただくこと。それを何とか、佐藤さん、広瀬さんと協力しながらやっていきたいと考えています。先生には一日も長く治療を続けて戴くことを祈念すると共に、我々も力を尽くして行きたい思いますのでよろしくお願いいたします。
質問3 一度治っても治療を続けるのが必要か、それとも、治って終わったらもう何もしないでいいのか。それと遺伝的な要素があるのか、その辺をお伺いします。
最近、わかったことですが、アレルギー体質に対して正常な体質の人はアレルギー反応を監視してそれをおさえる細胞が十分にあるということがいえます。TR細胞(regulatory T-cell)といっています。アレルギー体質の人にはこの細胞が十分でないためアレルギー反応が起きやすいということになります。減感作療法はこの細胞を増やすのに役立っています。
1970年代までは、IgGという阻止抗体(blocking antibody)が最も大事だと考えられていました。この考え方は賞味期限を持ったたんぱく質であるIgGが身体を守るのですから、その賞味期限と共にIgGも期限を持つと言うことになる。しかし、たとえばハシカに一度かかると二度と麻疹にはかからない。これはハシカのウィルスが身体からなくなった訳ではない。身体に潜伏していて常に身体の免疫性を刺激している。同じように生きているヴィールスで予防注射した場合にはそのヴィールスが一生身体の中に生きているので免疫力が保たれて、二度とハシカにはかからないということになります。ところがジフテリアの毒素を注射しても免疫を維持するのはたんぱく質の抗体ですから、期限がくれば免疫力を失う。従って、アレルギー反応についてIgGだけが阻止力を担保しているならば期限の到来と共にそれを失うことになる。
ところが、ここ数年来、免疫反応を監視する細胞(TR細胞)があるということが分かり、ことに減感作療法をやることによってそういう細胞が増えて来ることが分かった。アレルギー反応をコントロールするこの細胞が何年と言う単位で生きて、しかもそれは子孫を残すことも出来るし、たんぱく質とは違ってはるかに寿命が長い細胞と言われています。減感作注射により実際にアレルギーをコントロールする細胞が出来るという可能性が非常に強い。そして沢山注射をすればするほど其の細胞が増える。かなり長く注射を続けてやめた患者の中には10年、15年経っても平常生活をしている人が多くいることをアメリカでの経験からも言えます。
 遺伝については、その人のDNAによってどういうたんぱく質をその人の敵と看做すかで決まります。たとえば、昔、結核になる人で一番治りにくいのは結核菌に反応しない人でした。結局、結核菌を自分の敵と見なし得ない人はその見えない結核菌にやられてしまう。アレルギーの場合も、スギの花粉をアレルギーの原因と見えなければ、IgEも出来ない。アレルギーを起こさないようにする細胞が沢山増えるような遺伝子があればいいわけですが、しかし、いろいろなアレルギーを起こす原因や色々な感染をおこす原因も別ですから、そこまではゆかず、要は、アレルギー反応が行過ぎないように抑えてくれる細胞が増えるということが一番大事だと言えます。
以上
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新旧環境大臣への資料提出

日本のアレルギー医療改革のために以下の資料を纏め長屋宏医師に託すことと致しましたので報告いたします。

1. 厚労省への陳情
   19.2.6陳情した際に使用した資料
    →日本のアレルギー医療の実態を改革するよう求めたが、医療改革に対する当事者意識を疑わせるような態度で、厚労省の反応は今日に至るまでなく、一昨年に続く2度目の陳情であったにも拘らず無視されております。
2. 長屋式アレルギー免疫療法の真髄
   長屋宏医師の治療法について、現在日本で一般に行われている治療法とアメリカで行われている治療法と対比して患者の立場ら分析を試みた。
3. 現在の日本のアレルギー学界のリーダーであるといわれる秋山一男博士(国立相模原病院臨床研究センター)への陳情議事録(長屋宏医師のコメント付)
→この資料により長屋宏医師の治療法と現在の日本医学界のアレルギー医療に対する考え方の違いが浮き彫りにされています。
4. 長屋宏先生講演議事録
   長屋先生の治療法の科学的・理論的根拠と現在の日本に於けるアレルギ    
   ー診療の問題点を分析しています。

                             以上

                   久我山アレルギー患者の会
                         発起人 as
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2007年09月12日

公害喘息訴訟和解に寄せて

以下の記事を関係各方面に提出したいと考えております。
なお、長屋医師より下記書面の公開につき承認いただいております。as

拝啓
2007年8月8日のテレビ朝日の報道ステーションの番組で東京大気汚染訴訟、いわゆる公害喘息の医療費補償を目的とした訴訟の和解が成立したと報じられました。

 東京都民約1000万人の中で50〜60万人の公害喘息患者の存在が推定されているとのことでした。この患者数は東京都の人口の5〜6%に相当するので、日本における喘息の有症率にほぼ一致します。
 
 もし、大気汚染などの公害が喘息の直接の原因であるとすれば、都内の地域によって大気汚染の程度の差はあるとしても、都内の住民の大半が喘息を経験すると思われます。
従って、都民の5〜6%だけが公害喘息になるのは、その5〜6%の人には特別な公害以外の直接または間接的な“喘息になり易い原因”(例えば、アレルギー)が存在する可能性が高いと思われます。

 現在、日本も含めて世界中の先進国では若い人の喘息の増加が問題となっています。
1982年から2002年までの20年間に、日本における小児喘息の有症率が3.2%から6.5%と2倍以上に増えました。小児喘息の80%以上が乳幼児期に発症し、90%が6歳までに発症します。

 小児喘息の90%以上はアレルギーが原因でであるアトピー型喘息で、そのアレルギーの最大の原因はダニです。イギリスで子供の喘息患者の80%はダニにアレルギーがあると報告されています。アメリカのフロリダで喘息の治療のために救急病院を訪れた子供の90%がダニにアレルギーがありました。私が1990年に東京都世田谷区の久我山病院に開設したアレルギー外来を訪れた20歳以下の喘息患者の98%はダニが原因でした。       現在、久我山病院のアレルギー外来に通院している18歳以下の喘息患者は全員(100%)ダニが原因で公害被害の認定を受けている公害喘息患者です。

 言うまでもなく、大気汚染は呼吸器疾患がない健康な人にも有害ですが、喘息などの呼吸器病をもっている人には大気汚染による悪影響は健康な人に対するよりも甚大で喘息症状を悪化させることは間違いありません。日本における小児喘息の有症率と公害被害を受けて公害喘息で苦しんでいる東京都民の公害喘息の有症率が偶然にも5〜6%で一致していることは、喘息の直接の原因はダニ・アレルギーで、ダニ・アレルギーによって起こっている喘息症状が大気汚染によって悪化している可能性を示唆しているとも考えられます。
 その一つの証拠として、久我山病院に通院している18歳以下の公害喘息患者はは全員(100%)米国製の標準化ダニ・ワクチンによるアレルギー免疫療法(減感作療法)を受けることによって、同じ公害地域に住み続けているにも拘らず喘息症状は全く起きていません。

 このような事実から推察すると、公害喘息の真の原因はダニ・アレルギーであると考えられます。ダニ・アレルギーを根本的治療法である米国製の標準化ダニ・ワクチンを使用したアレルギー免疫療法で治療すると、アレルギーに因る気管支の炎症が抑制されて気管支の過敏性が亢進した状態が改善されることは既に証明されています。気管支の過敏性が改善されれば、大気汚染が気管支を刺激しても喘息症状が起こらなくなります。

 公害喘息訴訟の和解によって、向う5年間に国民や都民の税金と自動車会社の拠出金
200億円を使用して公害喘息患者の医療費の補助が行われる上に、東京都の公害指定地域に1年以上居住している喘息患者の医療費も無料にすると伺いました。

 公害喘息で苦しんでいる喘息患者に医療費の補助を行うことには賛成ですが、現在、日本の喘息治療のガイドラインとされている“喘息予防・管理ガイドライン2006”では吸入ステロイド剤をはじめとした対症的薬物治療しか行われていません。対症的薬剤費を向う5年間200億円を使って補助しても、喘息の根本的治療ではありませんから5年後には、より慢性化、難治化した喘息患者の医療費に200億円以上の補助金が必要となることは疑いありません。

 従って、和解金を向う5年間、より建設的に使用する最善の方法は、ダニ・アレルギーを根本的に治療するために標準化ダニ・ワクチンを使用したアレルギー免疫療法を直ちに始めることです。前記した私共の久我山病院に於ける経験から推して、この治療法によって小児喘息患者はほぼ100%治癒させることができるばかりでなく、多くの成人喘息患者の治療費の削減にもつながると思います。

 欧米の先進国、特に米国では、今から約30年前の1980年代の初めに、私が米国で開業していた頃に、既にダニ・アレルギーの根本的治療用に標準化ダニ・ワクチンが製造、市販されていて広く使用されていました。

 しかし日本では、ダニ・アレルギーが喘息の最大の原因であることが証明されてから
40年経ている今日でも、ダニ・アレルギーの根本的治療に絶対に必要なダニ・ワクチンは未だに製造も市販もされていせん。そこで、和解金200億円の一部を使って、米国から標準化ダニ・ワクチンを輸入してダニ・アレルギーを根本的に治療することを提案致します。それによって、多くの公害喘息患者のダニ・アレルギーを治癒させると同時に5年後までに公害喘息患者の医療費の大幅な削減が可能であると確信しています。

 以上、私の提案にご高配賜りますようお願い申し上げます。
なお、私の提案の科学的根拠として、2007年6月にメディカルトリビューン社から発刊されました拙著“日本のアレルギー診療は50年おくれている”をご参考までに同封させて戴きました。
敬具
久我山病院アレルギー科部長
長屋宏

久我山病院でアレルギー治療を受けている900名を超えるアレルギー患者を代表して長屋宏医師の提案を支持いたします。当会の活動は日本にアレルギーの根本治療法であるアレルギー免疫療法(最新の減感作療法)を広めることを目標にしております。
 

久我山アレルギー患者の会
発起人 as
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2007年09月10日

長屋式アレルギー免疫療法の推進のために

2007年9月
マスコミその他に向けた長屋医師の意見書(別添)へ
患者の会として支持表明することにご了承戴きたく。

長屋医師による東京都知事、マスコミ各社へのアレルギー根本治療法普及への働きかけに患者の会として支持する旨の意思表明を添付により進めたいと思いますので皆様の了承を得たいと思います。これに反対のご意思のある方はその旨当方(メールアドレス:akhihikoisato@hotmail.co.jp)へその旨ご連絡ください。ご連絡ない場合はご了承いただいたものとして上記を進めさせていただきたいと思います。                                  
           久我山アレルギー患者の会 発起人 

         添付資料参照
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2007年07月26日

アレルギー医療改革のためにマスメディアに働きかける

平成18年1月13日
マスメデイア各社広報部御中

前略
  次の件につき貴社において記事若しくは何らかの報道特集として採り上げて戴ければ幸甚に思います。
テーマ: 日本のアレルギー診療の改革について
問題点
  現在の日本に於けるアレルギー診療は大半の医療機関で対症療法(薬物療法)に終始しており、アレルギー発症の原因の治療(予防治療=皮膚・鼻の粘膜・気管支等の過敏性の除去乃至減殺)がほぼ全くと言って良いほど行われていません。これについて厚生労働省及び日本アレルギー学会は早急に対策を採らねばならないにも拘らず、まともに取り組む姿勢を示していない。米国で確立したアレルギーに対する予防治療であるアレルギー免疫療法、別名、減感作療法があるにも拘らず、これには注目することなく、現在の日本のアレルギー研究センターの中枢ともいうべき国立病院機構の臨床センターをはじめとして医学界はこの治療法が確立する以前に米国などで行われていた思考錯誤の試験治療のいくつかをただ繰り返しており、この間に周知のごとく国民の多く(3割に達すると言っても過言ではない)がアレルギーに悩み続けている状況が深刻化しています。薬物療法の弊害も患者に重く圧し掛かっております。これらの改善が急務です。
提案したい施策
  上述の米国式減感作療法の更に進化した「長屋式減感作療法」を全国に広めてもらいたい。何故なら、この治療法は、応急的な対症療法に加えてアレルギーの原因を抑える効果として現在米国で確立している予防治療法である減感作療法を更に緻密且患者の特異性に合わせたアレルギー免疫治療法であります。この治療を我々患者は久我山病院の長屋宏医師の下で受け、他の医療機関で見放されたような患者の多くが軽快な日々を送れるに至っているからです。
参考のため以下に関連資料を添付いたします。
1 久我山アレルギー患者の会設立趣意書
2 独立行政法人国立病院機構相模原病院臨床研究センター長秋山一男氏との面談議事録
3 厚生労働省への陳情の記録(その他ご要望があれば専門家の資料の提出可能)
草々
久我山アレルギー患者の会
ラベル:より
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日本のアレルギー医療の改革のために

0相模原病院臨床研究センターセンター長に面談した議事録

訪問者 as,th
日時  2005年10月24日午後3時〜4時5分
     注 :本文中「私」はセンター長 〔 〕内は長屋先生のコメント   
( )内は筆者のコメントまたは聞き取り不正確を示す。     
1.減感作治療は行われているが、現在ではそれよりもより根本的治療として免疫療法に中心が移りつつある〔? 減感作療法そのものが正しくは「アレルゲン特異的免疫療法」と呼ばれ、世界中で最も広く普及して行われている「免疫療法」である。減感作療法以外の「免疫療法」としては「抗IgE免疫療法」などがあるが、それは最近始められてはいるが普及の規模がまるで違う。〕喘息の場合には、気道の炎症をとること自体は吸入ステロイドが中心になっていてそれと平行してアレルゲンに対する治療として減感作をやっているので決して減感作治療がない訳ではない。
2 長屋先生の減感作治療=アメリカはアレルギー反応が出たものの中で重要なものは全部やるで、ヨーロッパではこういう方式をとっていない。たとえば、カシュウ(?)の場合でも主なものはダニであったりでヨーロッパでは一種のアレルゲンに侵かさている場合にのみ減感作をやっても良いとしており、方式が異なっている。〔良いとか悪いとかではなく、統計的に有意義であることを示すためにやり易い1種のアレルゲンの研究データしかないということ。〕
3 長屋先生が前々から言われていますが、アレルゲンの供給元が鳥居薬品一社しかないのでそれが問題で、我々はHolliester-StierとかGreerなどから取り寄せたりするが数が少なく、それでも我々のところでは35種類位の皮膚テストをやっています。〔35種類位の皮膚テストを行ってもアレルゲン特異的治療を行わないのでは何の意味ものない〕
4 血中抗体はRAST法(?)で測れますが、今の日本の風潮〔風潮ではなく病気の原因を取り除くことが必要〕としては喘息も気道の炎症であるということからそこにばかり目がいって原因のアレルゲンをどうするということには注目されていない。〔それが最重要、気道の炎症の原因は吸入しているアレルゲンであるから、それが何であるかを見出すことが重要〕
5 私のところの研究は一応アレルギー中心なので、まず原因アレルゲンをしかも血中に抗体があることイコール原因アレルゲンでは決してないので実際の気道のアレルギー反応に何がかかっているかを特定した上で例えば環境整備だとか減感作などをやっていくという方針であります。〔やっていない!〕
6 診断治療に使えるアレルゲンを増やせということが重要で、このことは厚生労働省にも言っていますし、また保険診療についても前々から出してはいます。このことは是非、患者さんの側からも出して戴くのが重要だと思います。
7 減感作治療についての長屋先生のやり方=アメリカ方式i.e. アメリカではAllergist=Shot Doctorと言われているように減感作をやるのがAllergistとされているが、反応が出たものは全部やるというやり方。ただ,それはなかなか難しくて、反応が出たものは全部やるというやり方と、もう一つは反応が出た中から血中のIg抗体で直接関わっていないものもあるので喘息に直接関わっているもだけを対象にする方法がある。例えば、アトピー性皮膚炎の場合は皮膚炎にはなるが喘息にはならない。〔どういう意味か? アトピー性皮膚炎では主としてダニが皮膚炎も喘息も起こしている。〕 喘息の基本は気管支に過敏性があること、そしてそれにアレルギーに対する反応があってそれが一緒になって喘息の原因となる。従って反応が出たものは全部やるというのは一般的でない。
〔下線部:喘息の基本である気管支の過敏性はアレルゲンによって起こるアレルギー炎症そのものが原因であるから減感作によってアレルギー炎症を抑制すれば過敏性も減少する。〕
8 アレルゲンの入手先が鳥居薬品一社しかないことにも問題がある。広瀬氏は36種類、筆者は34種類のアレルゲンにつき減感作を受けていることについて、抗原研究会を介して入手しているのだと思うが、鳥居薬品ではとてもこんなに多く取り寄せることはできない。(アレルゲン取り寄せの方法は抗原研究会を通しているのかについての質問があり、当方から何らかの入手の方法があるのではないかと回答した。)日本では使用承認がないと保険適用がなく、患者負担となるので経済的にも足枷となっている。保険適用のないものについては患者とのInformed Consentがベースであり、しかも抗原研究会の場合、今はアレルギー協会と言っているが、この場合、医者が医者の名前で買って患者から後で支払ってもらう仕組みだと思う。
9 米国で一般に使われているものは日本にそのまま持ってくるようにはなっていない。新しい抗原を日本でやるにはそれなりの治験が必要だとされている。米国のものをそのまま日本で使うには結局普通の薬と同じ扱いで、日本では治験をしてそれらが診断薬としての効果をみてから適用になる。そんなことをやっていてはなかなか進まないのだが、保険に載せる規準が難しく、だから我々の作ったものを患者とInformed Consentを交わして使っているのが実情。現実に米国で実用化されていても日本では承認されない。例えば、Epipenという抗アナフイラキシー用の自己注射用の食塩がスズメバチに刺されたときに効く治療薬としてアメリカでもヨーロッパでも医者に行くまでの治療薬として認められているのに日本では認められていなかったのが漸く認められた。このように認められていないものは個人輸入となっておりこの面での自由化が望まれる。〔メルク社から発売されている。〕
日本で診断薬として認められるには人種差もあるのでまず日本で治験をやって厚労省に申請して認められてという手続きを経て使えることになるがなかなかその基準が難しく承認が得られないのが実情でこれがネックになっている。(当方から米国は人種の坩堝故そこで認められたものをあらたにチェックする意義について疑問はないのかについて指摘したところ)海外で実際に実用化されているものをBridgingと称して海外のデータを日本に輸入するというようにはなってはいる。例えば抗原なんかではある意味ではそれが来てべらぼうに何十億何百億儲かる薬ではないですから大したものにはならないと思いますが。このような手続きを省略できれば問題解決になるので患者サイドからの働きかけも有意義だと思うとのこと。
10 多分、日本で戦後最初にアレルゲンが大きな問題だとされたが、競合がないことが指摘される。日本では未だにピュアーなダニが抗原=アレルゲンとして治療用には使えない。今日日本で使われているハウスダストにも問題がある。例えばハウスダストの中身は日本ではダニが主要成分でも北欧ではそうではない。日本でハウスダストとダニで減感作をやると反応は同じだが、世界的にはハウスダスト=ダニなどと言うのはとんでもないことになる。だから患者とのInformed Consentにより輸入して使っている。そういう抗原が沢山ある。そういう意味でも直ちに海外のものをそのまま輸入するには吟味が必要とされている。〔米国製の標準化ダニエキスはAllergy Unitsによって内容が検定されている。〕海外での治療で良くなったことなどは是非とも公表して厚労省に海外の抗原輸入を働きかけることは有意義だと思う。我々からは前々から抗原を増やしてくれるよう難病対策室へ言っているので患者さんからも言って貰えれば厚労省を動かすのに力になると思う。
11 筆者の米国での治療経験では、米国(カリフォルニア、インデイアナ、ミシガン各州)での医師の減感作治療法は共通して所謂マニュアルに従った方法を取っていた(先ず最初の2ヶ月間は週2回ペースで注射をし、次の2ヶ月は週1回、更に次の週は2週に1回と患者の反応に関係なく注射を減らしていく方法で、1度筆者は調子が良くないので週1回の時期に2度目を注射して貰うべく病院を訪れたところ看護婦から追い返された経験があります。)のに比べ、長屋先生の治療法は患者の症状に合わせた遙かに緻密なもので、患者の判断で週5回でも6回でも注射が可能で且、注射そのものも前回の反応を前提とした量で長屋医師自ら行いその反応を逐一自らの指で確認して次回に備えるという徹底した感作の見極め方を貫くもであります。従って、回数を増やすことによって短期間に改善が期待できるという希望も湧いてきます。注射も反応も全て看護婦を介して医師が診ていた米国での治療経験とはその正確性においても症状に対する即応性において格段の差があることに疑問の余地がありません。ここに「長屋式減感作療法」が患者の症状に合わせた緻密な治療たる所以があります。勿論、米国での治療は予防診療を何もやらない日本の一般的診療に比べれば遙かに有効と言うべきです。(秋山氏はそれでも長屋式治療法には全部やるという点で同意できないとしていた。)
12 今年、厚労省の疾病対策課の方でリウマチ・アレルギーの対策委員会を作って、私がアレルギーの対策検討会の座長となり、そこで簡単に原因アレルゲンを特定;血中抗体があってもそれはアレルギーを起こす原因の候補にはなっても原因そのものとは限らないので、最終的に粘膜のアトピー反応とかアレルギーを起こすかというのは現時点では(吸入吐)試験しかない。これは患者にとって不快そのものといっていいしまた危険も伴なうが、出来るだけやりたくないがこれしか方法がないのでこれをやって、それに代わる方法がないか我々のところで今検討している。〔皮膚テストとRAST=特定の食物アレルゲンに対するIgEを測る血液テスト=が粘膜のテストと一致する論文は1978年に私共が発表している。この中では次ページに書かれている
(1)ヒスタミン遊離試験(血中好塩気球からの) 
(2)粘膜誘発試験 
(3)RAST(血中のアレルゲン特異的IgE抗体) 
(4)プリックテストが全て相関することを証明している。〕
例えば眼反応で結膜に抗原をさらすことによって反応をみるなどやるがどうしてもinvisibleであり、そこで血液を採ってラストでは血中抗体だけなのでヒスタミン遊離反応といって白血球の中の好塩基球に抗原をかけることによってヒスタミンが出てくる〔血中好塩基球によるヒスタミン遊離試験は我々も27年前に行っているので何も新しいことでも何でもない。〕、それは抗体よりももう一歩先のRecepterというか免疫反応で最初感さされたIg抗体が出来て細胞にくっついてそこに抗原が2度目に来たときにでるヒスタミンを抽出するというそこのところをみる検査が出来るようになったが、ここでも使える抗原が10種類位しかない。抗原に関しては国の内外で共通のものがあるのでそういうものについては海外からもってこれるようになってもらいたい。米国の実際の治療法をそのまま持ってくること(当方強調)のためには政治・行政のシステムを変えて貰わないとできないように思える。(リセプター)というもので日本で敗血症が多くなったということについて海外では何でそんなことになるんだということもあって、ただ抗原に関しては向こうのものと日本のものと違うものもあるが同じものについては是非使いたいし是非使えるように進めていきたい。
13 小児の喘息がよくなったということについては過敏性がなくなったということでは必ずしもない。減感作だけで治ったということについては矢張り過敏性が残っているので吸入ステロイドも使わなければならない。喘息が治ったかどうかについては基本条件は過敏性にあるので過敏性がとれれば治ったといえるが減感作をやめる時期については、やめてから30ヶ月のうちにアレルギーが出るか出ないかがひとつのポイントになるようである。いずれにせよ減感作と同時に吸入ステロイドが必要である。〔減感作によって過敏性が減じる。〕
14 減感作治療の重要性は最近見直されつつある。
広瀬氏の例では、170種のアレルゲンテストの中から36種に反応が出てそれを全部減感作注射をはじめ最初に喘息が治り次に手のアトピーが治った。4本の治療液で最初は5万とか50万分の1の濃度から始めていき最後は50分の1というように。これにつき秋山氏は50分の1というのは5種類混ぜているという意味で、ハウスダストは10倍液との説明。広瀬氏はこれまでの5年間で580本うった。熱心に注射に通っているので治ったように感じ、今はフルタイドもつかっていない。〔広瀬氏は吸入ステロイドを使うように勧められている。〕これについて秋山氏から過敏性が残っている場合には炎症をとめるために吸入ステロイドが必要とのアドバイスあり。減感作自体も過敏性にある程度影響するけれども吸入ステロイドの使用を薦めている。
15  広瀬氏より、このように良くなったので何とか長屋先生の後継者を作っていただきたいと願う気持ちが強まっている。医学界としてこのことを考えてもらいたいと思いを披瀝した。
16 減感作をやるという点では決して否定はしない。ただ全部やるかについては疑問が残る。〔どんな疑問?〕 
今までは減感作治療がなぜ効くかのメカニズムが判らなかった。その理由は、ひとつはアレルギーを起こすIgE抗体に対抗するIgG抗体を作ることによって反応を抑えるとされたが、ただどうもこれは?になってきて、今はピーフェルというリンパ球の働きをどうするこうするなどといわれるようになっているが、どっちにしても減感作療法、さらに進んだ免疫療法というよりTH1,TH2のバランスをやるためにいろんな科学的modifyしたものを使っている。〔やや古い。最も有力な説はRegulatory T cell(Treg)を誘発(induce)すること。これは抗原特異的でアレルゲンの注射量に比例して有効!〕
17 長屋方式ではないが減感作療法は特に花粉症治療については他でもやっている。
 例えば、理化学研究所ではより効果的な減感作というか免疫療法をやっている。
 小児については室内に長くいるのでダニ予防に環境整備だけでなく減感作も必要。
減感作、免疫療法のやり方は違っても抗原をより多く使えないと治療にも制約があるので、出来るだけ多く使えるよう患者さんの方からも政府に働きかけて欲しい。
政府は患者さんの声を無視できないと思うので是非働きかけてもらいたい。
今回のお話は我々と方向性が同じであることがわかった。抗原がもっともっと多く使えれば減感作治療も盛んになると思う。
現在行われている減感作としては:
・ スピード減感作とか        ――〔副作用の危険性〕
・ 日本医大の大久保先生(スギ花粉) ――〔舌下療法は喘息には効かない〕
・ 埼玉医大内科で減感作をやっている――〔未だにハウスダストを使っている。
Evidence-based Medicineに逆行している。時代遅れも甚だしい!〕
・ 新橋西口のビル3階ではアレルギーセンターでは信大先生、奥田先生
・ 昭和大学医学部でも減感作をやっている〔ハウスダストのみでやっても効かない。〕
以上のようにやり方は違うがやってない訳ではない。〔50年昔のやり方でやっても無意味、この点を改善すべくこの運動をしているのではないか!〕
我々のやり方ではアレルギー反応が34種類に出たからといって全部について減感作はやらない。〔だから有効な治療ができないと言っているのではないか!〕喘息にはICが関与していないものもある。アトピー型のように。それはIG以外に適用を考えなければいけない。〔大多数はアトピー型〕
18 最近の研究ではあるものに対する減感作をやることによってTH1/TH2のバランスが正常化しそのことによって他のものにも効くというのもありその意味で何も全部やる必要はないんだという考え方もある。〔「考え方」ではなく「実効」があるかないかが問題である。〕いろいろな考え方があるので長屋式だけが唯一の方法として進めることには同意できない。〔色々な考え方があるから、常に考えてばかりいて何もしないでいるよりは実効がある米国式減感作を今すぐ行って1人の患者でも助けた方が良いし、日本のアレルギー治療を推進する中心人物がこれでは、患者は永久に浮かばれない。〕これらは実効性も確認されており、実は総合科学会議の中で内閣府の花粉症改革の場で話したが、一般的な減感作療法は効果もあるが場合によってはアナフィラキシーも起こすので、そういうものを起こさない抑えるけれどもアレルギー反応を起こさないような治療法ペプチドセラピーという抗原を小さく切ってやる治療とか〔実験段階のもので10年以上話題に上っても実際の臨床には未だに利用されていない。ペプチドでは多くのペプチド抗原を作る費用が膨大で実用化は程遠い。〕、また同じ減感作でも、減感作の基本は副作用の出ない最も大量の抗原を使うことだから、やはり全身に副作用を起こす危険をともなっている。その危険がない方法として、大量の舌下減感作を千葉大でやっている。この場合には大量の抗原を使うのでお金の問題がある。あとはCPGといってH1/H2にシフトさせるような抗原をつけて注射をすることで短期間で何年にも亘らないで(アメリカでもブタクサでやっている)6回位で数年持たせる方法が開発されつつある。〔全て日本での実用には何年かかるか、40年以上前から分っている。ダニ抗原すら実用化されていないのに!〕
しかし、以上の研究はいまだ実用化にいたっておらず、現時点ではやはりConventionalな減感作治療に頼らざるを得ない状況にある。
19 抗原について日本で標準化されているのは杉だけである。
 吸入ステロイドはアトピー性であろうとノンアトピー性であろうと喘息の原形は気管の好酸球性の炎症であると好酸球性炎症がくるときにアレルゲンからIg抗体を介してくるときとほからくるときがある。好酸球性というところが共通、しからばその共通のところを治療すればいいということになる。〔好酸球はアレルゲンに反応して現れるので好酸球は二次的に炎症を起こしているので原因のアレルゲンに対する直接の治療が必要。〕しかもこの方法は手間もかからない。それが自宅でできるようになってくれればと思っている。〔?〕
結論として、我々訪問者の感想は、いずれの治療法にしても抗原が足りないということが現在の日本に於ける最大の問題故厚生労働省に対して訴えることとしたい。   
以上
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2007年07月04日

久我山アレルギー患者の会設立趣意書

表記について未だブログに載せていなかったことをお詫びしてここに掲載いたします。
           久我山アレルギー患者の会発起人  as
日本に於けるアレルギー治療の改善を訴える患者の会
(久我山アレルギー患者の会)
2005年5月
発起人

一 本会設立の趣旨 
近時、日本では、特に春先に大量の花粉が全国を飛散・猖獗を極め、多くの国民がこれに的確に対応すべき医療を受けられずにアレルギー症状に悩まされ続けてきています。花粉症に悩む人々が年々増加し今日では国民の3割に達するといわれています。
花粉症は現在では全国的問題となっているにも拘わらず、厚生労働省および日本の医学界はアレルギー治療の根本的な対策をとっているとは思えません。厚生労働省の承認の下に日本の医学界によって現在国内で広く行なわれている不画一・千差万別の治療実態では対処できなくなりつつあることを問題とせざるを得ません。
現在の日本のアレルギー治療の実態は、アレルギー疾患への対症療法に中心がありアレルギー疾患そのものの予防治療については未だ端緒についたに過ぎないのではないかと思われます。米国では花粉に対してだけでも64種類のスクラッチ・テスト溶液と減感作治療液が現在実際に医療機関によって使われているのに対して、日本では厚生労働省によって認められている日本製のスクラッチ・テスト用液は12種類また減感作用治療液は4種類に限られているなどテストはできても対応する治療液がないなど、現下の日本のアレルギー治療のレベルは世界の先進治療の潮流の中で明らかに遅れており、この遅れた日本の医療事情を早急に改善させ、日本のアレルギー疾患に対する治療なかんずく予防治療を欧米並みのレベルに引き上げて貰いたい。
このアレルギー疾患の根本的な予防治療法として、欧米では既に半世紀以上も前から減感作治療法が主流として定着していると聞いておりますが、日本では全くといって良いほどこれが実施されていないのではないでしょうか。むしろ根本的な予防治療は大半の医療機関で無視されているといえるでしょう。アレルギー症状の根本的治癒を齎らす治療法を一刻も早く日本の医学界が採用して厚生労働省のバックアップ(保険上の対応も含め)のもとに国民をアレルギー疾患及びそれを原因とした皮膚疾患・呼吸器系疾患等の苦しみから解放される状況を創出すべきであります。
我々患者の会は、今日の医療環境の中で長屋宏医師のもとに、この減感作治療を基本にした長屋先生の緻密な患者個々の症状に応じた治療(以下、「長屋式減感作療法」)を受けてきており、その結果、その治療を長期且つ継続的に受けている我々患者の多くがアレルギー疾患から解放されつつあります。
その患者数については、長屋医師が米国から帰国してこの治療を開始されたこの15年間に延べ人数が1000人を超え、患者の居住範囲も久我山近辺に止まらず、静岡、愛知、大阪、沖縄に及び、現在も毎週ベースで治療を受けている患者数は100名を超えている状況であります。長屋医師が一人で対応できる限界を超えるこの患者数は如何にこの治療法がアレルギーに悩む我々患者達の苦しみを取り除いてくれているかを物語っています。このことをできるだけ多くの国民に知って戴きたいと願っております。
この治療法は日本で通常受けられる他の如何なる治療とも全く異なっており、これによりアレルギー症状に悩む国民が健康上且つ経済的にもより快適に過ごせる日本のアレルギー医療環境レベルを享受できるようになることを期し、この目標を一刻も早く実現させるため我々アレルギー患者自身が立ち上がる必要を感じます。
我々は前述のアレルギー治療の改善を目途に「長屋式減感作療法」を厚生労働省・日本医学界・マスメデイアに働きかけるため本会を設立するものであります。
二 当面の本会の具体的目標    
1 前提 
本会は「長屋式減感作療法」をアレルギー治療法の改革目標として全国へ広め且つその治療の担い手が途絶えることなく排出してくれることを当面の具体的目標としたいと考えますが、その理由はこの治療法が我々患者の受診経験のなかで最良の結果が出ていると感じているからであります。
2 米国での実情 
米国では減感作療法がアレルギー免疫療法として確立されておりますがそれはどちらかといえば画一的・マニュアルどおりの治療をすべての患者に当てはめているようであります。事実、花粉症のメッカといわれる米国中西部での筆者の経験でもこの地方で受けた治療の多くは画一的・マニュアル型治療であったことを敢えてここに指摘したいと思います。この経験から、確立した減感作治療を行う米国においてすら直ちに「長屋式治療法」ほどの緻密さが治療実態として一般化しているとは言えないのではないかと思えます。
3「長屋式減感作療法」の定義
「長屋式減感作療法」は、2つのカテゴリーに分れ、その第一は対症療法であり、第二が予防治療であります。対症療法では投薬治療により現に患っている苦しみを軽減することを目的としています。この治療法は現在日本で広く行われていると思われます。しかしこれは単に苦しみを和らげるだけでその苦しみの拠ってきたる原因の除去につながる治療ではないのであります。この原因の除去を目的とする治療がまさしく「長屋式減感作療法」の第二のカテゴリー即ち予防治療であるアレルギー免疫療法であります。
「長屋式減感作療法」は、米国で現在確立実施されているアレルギー免疫療法をさらに進化させた長屋先生独特のきめ細かな減感作治療法であります。長屋先生の治療法は、最大100種類を越えるプリック・テストに基づく患者各個のアレルギー症状に応じた注射液を作るところから始め、その日々の症状に応じた適量の注射液の投与とその反応に合わせた対応というきめ細かな治療を長期に亙り粘り強く行うものであり、これを症状にあわせ週2回を基本に行い、液の投与蓄積量が増すにつれその効果発生の長短は個人差はあるが確実に顕れており、このことは、以下に示される患者の実体験でその証明が窺い知れるところであります。共通して最重要といえることは患者側のこの治療を続ける長期に亙る堅固な意思であります。何故ならこの治療は継続的に通院が不可欠であるうえに即効性に欠けるが故に惜しむらくは少なからぬ患者がこの治療法に見切りをつけて辞めてゆくケースが少なくないのであります。けれども、辞めていった患者のなかにはこの治療に復帰している患者(筆者もその1人)も少なくないのではないかと思われます。
三 症例
  (花粉症)50歳の主婦
三十代半ばから花粉症を患っていたが平成9年長屋医師の治療をTVで知りこの治療を開始して7年の後マスクも頬かむりもしない普通の生活をおくっている例。
  (慢性気管支炎・喘息)66歳男性
当初毎日呼吸困難で死を覚悟していた状態で長屋先生の治療を開始したが目立った成果を感じずに何度か辞めかかった後、結果的に8年続いた治療の暁に毎週1〜2回の通院と1日1〜2回の吸入をするだけでほぼ普通の生活に復帰し、イネ科の花粉アレルギーがあるにも拘わらず毎週ゴルフを楽しめるほどに回復している例。
(アトピー性皮膚炎)34歳の女性会社員
アトピー性皮膚炎を30年も患い他の複数の医療機関でさじを投げられて長屋医師を訪れた患者の症状が2年で軽快し現在皮膚科の世話にならないで済んでいる例。
(気管支喘息)34歳主婦
中学2年に気管支喘息と診断され以後喘息の苦しみに苛まれ幾多の医療機関・漢方医の治療で成果なく、この治療を開始して7年の後現在普通の生活に復帰している例。
以上、現在長屋医師のもとで確実に回復しつつある症例は枚挙に暇がありません。
四 厚生労働省への具体的要望事項
  (具体的要望の背景)長屋先生はいまだに矍鑠としてはおられるとはいえ御高齢故に、患者のなかには現在の治療をいつまで受けられるかに不安を感じ、後継者ができるだけ多く輩出し日本国中いつでも何処でもこの治療を受けられる環境の実現を願う気持ちが高まっております。従って、我々患者の会は特に次の二点につき可及的速やかに実現すべく要望したいと考えます。
(第一の要望)「長屋式減感作療法」を全国に敷衍させるため、アレルギー学会が後継者育成に力を注げるようバックアップしてもらいたい。
(第二の要望)「長屋式減感作療法」は米国での治療を日本で実現するものであり従ってそれに必要な米国製のテスト用と治療用エキスが必要であります。これらは日本アレルギー協会を通して入手可能でありますが、現在保険でカバーされていないため自己負担が基本となり、このような患者の経済的負担軽減のため保険対策を実施してもらいたい。    
上記を当面の目標として我々久我山患者の会は会員メンバー一致結束のもと活動を開始することとしたい。
以上                                         
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聖路加国際病院理事長へ出状の報告

日本のアレルギー医療の改革を目指して、久我山アレルギー患者の会発起人より表記につき、以下の活動報告を致します。

聖路加国際病院
理事長 様

拝啓
突然の出状をお許しください。
私は18年前から日米両国でアレルギー治療を受けております67歳の喘息患者であります。
1981年に米国カリフォルニア州ロスアンゼルスへ駐在して6年目にアレルギー(急性気管支炎)を発症し、その後2年で喘息と診断されました。以後の5年間米国に駐在しておりました間、カリフォルニア、インディアナ、ミシガン3州に移り住みましたが、いずれの居住先でも地元の医療機関でアレルギー免疫療法を受けつつ普通人の生活を続けていました。しかし、1994年に帰国してからは同種の診療を受けられなかったために帰国後4ヶ月目に重篤な喘息発作に襲われ死に直面する日々を送ることになりました。ところが幸いにも米国のアレルギー免疫療法を日本で唯一行っている医師を探し当てることができ、以来この医師の治療を受け続けた結果立ち直ることができ、現在は普通人と変わらぬ生活をエンジョイしております。私の受診体験から、日米のアレルギー医療環境の違いにより日本では米国に比べアレルギー患者の救済が不十分であり、日本におけるアレルギー医療の改革の必要を痛感しました。
そこで、毎年3千人を超える喘息死を記録している日本において、今現在死の苦しみに苛まれている多くの喘息患者をはじめとするアレルギー疾患者が私が受診したような回復可能な有効な治療法を受けられるような医療環境になることを願い、日本に於けるアレルギー医療の改革を目指して3年ほど前に「久我山アレルギー患者の会」を立ち上げました。そして同会の発起人としてアレルギー患者の有志と共に政府(厚生労働省)、医学会(国立相模原病院アレルギーセンター長)、医療機関(久我山病院及びその親会社であるセコム)、マスコミ(朝日・毎日・読売・日経などの新聞各社、NHKをはじめとするテレビ各放送局)へ日本における現在のアレルギー医療の問題点を指摘しその改革が急務であることを訴え続けてきております。これらの活動については小生のブログ(後述)をご参照戴ければ詳細をお伝えできます。昨年7月に開設した小生のブログに対しては今日までのところ5400を超える一般人のアクセスを頂いております。しかし、政府、医学界、マスメディアからは残念ながら現在迄のところ何らの反応もない状態が続いております。
つきましては日本医学界における大御所であらせられる貴殿のお力をお借りできないものかと藁をもつかむ思いで不躾ではありますが本状をお届けする次第であります。
小生が「久我山アレルギー患者の会」を通じて提唱いたしておりますアレルギー医療改革は、端的に言って、日本において主流となっております薬物による対症療法への特化を改め、国連の世界保健機関(WHO)が認めるアレルギーの根本治療法であるアレルギー免疫療法を実現することであります。現在の先進国の中でアレルギー免疫療法を最新の医療技術レベルで行っていない国は日本だけと聞いておりますので一刻も早くこれを欧米並みに改善し、アレルギーの根本治療法を日本に広めるべく「久我山アレルギー患者の会」では各方面に働きかけております。我々の活動内容の一部は本書簡に添付いたしておりますが貴殿へのご面会をお許しいただければ直接ご説明してご理解を賜りたいと思います。どうか面会のお願いをお受けくださいましてご支援をいただけますよう衷心よりお願い申し上げます。
1994年当時私が患った喘息による死の恐怖から私を救ってくださったのが東京世田谷区所在の久我山病院アレルギー科部長の長屋宏医師であります。(長屋医師はノースカロライナのデューク大学留学当時偶然にご訪問された貴殿にお会いしておられるようです。)長屋宏医師の治療法はまさに米国で普及しているアレルギー免疫療法でありました。後に同封書類でご説明申し上げますがこの治療法は米国で現在普及しているアレルギー免疫療法を更に改良した医療ではないかと思っております。長屋医師の最近発刊の著書「日本のアレルギー診療は50年遅れている!」(メディカルトリビューン社)という著書にその科学的分析がなされております。私はこの治療を13年間受け続けております。私の場合はこの治療を受けてから8年目にして今日の健常者と変わらぬ普通人の生活を享受できるようになっておりますが、出生とともに重篤な喘息を患って30年以上にもなる患者がこの治療法を受けて僅か1ヶ月で発作がなくなったという症例もあると聞いております。また、他の主要なアレルギー専門病院(同愛記念病院、東大病院など)で見放されたような多くの重篤な喘息患者やアトピー性皮膚炎の患者がここ久我山病院で長屋医師の治療により回復の恩恵に浴しています。その数は枚挙に遑なく、現在までに900名を超えるアレルギー疾患患者が長屋医師のもとで治療を受けておりその多くが私のような健常者の生活を送ることができるようになっております。
しかしアレルギー疾患をもつ我々にとっての緊急の問題は日本でこの治療法を行っている医師が長屋宏医師をおいて他にいないということであります。しかも長屋医師は本年76歳の高齢であります。何とか早急に後継者を育てるべく各方面に働きかけておりますが一向に耳を傾けてくれるところがありません。     
そのため貴殿にせめて我々の念願するアレルギー医療改革についてご理解いただいてご支援いただけるかお伺い致します。ご都合をお付け戴ければ何時にても参上仕りますのでお時間を割いていただけるかお伺い申し上げます。このような突然の、不躾のお願いをご容赦ください。私はこの治療法により普通人の生活を取り戻せたご恩返しにと思い、日本のアレルギー医療改革に微力を尽くして参ります。
敬具
平成19年7月4日


久我山アレルギー患者の会
発起人 as

同封書類
1.「久我山アレルギー患者の会」設立趣意書コピー
2.長屋式減感作療法の真髄コピー
その他小生のブログをご参照いただければ幸甚です。
ブログURL: http://aregybyas.seesaa.net/
または「久我山アレルギー患者の会」
以上
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