2007年11月08日

アレルギー患者の体験記

嘗て掲載しておりました患者の体験記が本ブログから消失しておりましたので再掲載いたします。
《T》
私のアレルギー治療はアメリカで始まった。
(as)
はじめに
想えば、私は50歳を過ぎてから8年に及ぶ苦しい喘息、およびそれに先立つ数年にわたるるアレルギー性気管支炎という病魔から解放されて、今、快適な普通人の生活をしている。苦しかった時期を思い出すにつけ、いまのこの快適な毎日が信じられない。長屋宏医師の治療を受け続けた結果今の自分があるという実感がこみ上げてくる。私は私がどんな治療を受けて今の自分を取り戻したのかを書き記しておきたい。そして私の治療が日米両国に亙っていたので、私の体験から知った両国の治療の違いについても触れたいと思う。
一.アレルギーの発症とロサンゼルスでの治療
ロサンゼルス在住6年目の1987年の春先のころ、一年中、色とりどりの花が咲き乱れる花園のようなタウンハウスに移り住んで3年目だった。ある日突然咳が出て息苦しくなった。小学校時代以来ひいたことがなかった風邪をひいたのかと思った。咳と息苦しさで眠れぬ夜を過ごした翌日、ゴルフ仲間である友人から花粉アレルギーかもしれないと聞いたので、その日の夜、少しでも花粉を鎮められるのではないかと思い、ゴムホースを使って家の周りの花々に水を掛け捲った。だが一向に症状は改善されないので、専門医に見てもらおうと思い、後日、その友人からカリフォルニア大学アーヴァイン校のアレルギー専門の教授である長屋先生を紹介してもらった。これが先生との出会いの初めであった。早速、先生に診ていただいた結果、アレルギー性急性気管支炎と診断され、治療をせずにこのまま放置すれば2年後には気管支喘息になるでしょうと言われた。そしてアレルギー免疫療法(減感作療法の現代版)による治療が始まった。その後分かったことだがアメリカではどの州でもアレルギーに対してはこの治療法が行なわれているようである。この治療の最初の日に先生が治療の中身について克明に説明してくれたことが印象深く記憶に残っている。説明のポイントは、まずはアレルゲンを避けること、避けられないアレルゲンについては治療は二つ。一つはアレルギー症状が起きないようになるための(=減感作のための)注射を続けること、および二つは現在起きつつあるアレルギー症状を一時的に押さえ込むための気管支拡張剤の服用と吸入ステロイドの併用であった。治療について患者に理解させその了解を得てから治療を始める。これがアメリカ流なのかと思った。数年前に肋骨を痛めたときにかかった整形外科医の医師からも詳しい説明を受けたことを思い出した。説明の仕方も具体的だった。折れた骨が治るまでアルコールはご法度。この間にもし飲むとそれはあたかも骨折部分を金槌でたたくようなものだ、というのであった。私は完治するまでビールを飲むたびに胸にグサッとくるこのたとえを思い出した。  それにしても『喘息』などという自分には無関係と思っていた恐ろしい響きを持った病気が身近なものになるのかと思うと、この上ない不安が一瞬脳裏を掠めた。しかし、先生の丁寧な説明でこの治療を粘り強く続けることによって将来そのおそれから必ず解放されることになる可能性を知らされ、『喘息』になるという不安が消えた。先生の丁寧な説明が『喘息』という病気の結末である恐ろしい窒息死の可能性を自分からかき消してくれたと言ってもよい。自分は健康そのもので恐ろしい病気とは無縁と信じていたことも手伝ってくれた。
4月から9月まで、当時住んでいたロサンゼルス内陸部のウェストコヴィナから南西部の海岸近くに位置するトーランスの先生の診療所まで車で30分かけて、せっせと通って減感作のための注射を週2回ペースで受け続けた。注射後の返る道すがら、毎回注射局所の痒みに耐えながら街路樹のユーカリの巨木やジャカランダの木に薄紫色の花が咲きほころぶトーランスのだだっ広い街路をドライブして帰ったことを覚えている。いつか、そして一刻も早く良くなることを期待して先生の診療所へ通い続けた。
折りしも、同じ年の10月から中西部へ転勤となったため、長屋先生に診断書を書いてもらい、それを転地先の診療所宛に示して同じ治療の継続をして貰うつもりだった。しかし、転地先の診療所では、改めて皮膚のスクラッチテスト(約24種類のアレルゲンによるテスト)が行なわれた。その結果、アレルギーは見つからずとの診断により減感作療法は不要と診断された。ロスから持っていって提出した診断書は無視された。その後2年で別の診療所(当時3歳と5歳の子供がかかっていた耳鼻咽喉科)で喘息になっているとの診断を受け、アレルギー専門医にかかるよう薦められた。長屋先生の予言が現実になった自分に唖然としたものである。以来、インディアナ、ミシガンと中西部での転勤先ではアレルギー科で喘息患者としての減感作注射によるアレルギー免疫療法および気管支拡張剤と吸入ステロイドの投与を受け、米国駐在中、1994年8月に帰国するまでこの治療を受け続けた。この間の症状は朝のうちに大量の痰が出た後は楽になり、午後は普通の生活が出来るという毎日であった。勿論、特に発作などは出たことはなかった。
二.日本での治療と長屋医師との再会
帰国後は、タバコの煙が濛々と充満する職場環境のせいか、身体の調子が芳しくなく、耳鼻咽喉科通いの日々を送っていた。受けた治療は自宅近くの医院でメプチンによる気管支拡張のための吸入をやるだけで、あとは主にステロイド系の錠剤とベコタイドなどの吸入ステロイドの処方による薬漬けにされる以外に勿論、減感作療法などやってくれることはなかった。
 帰国して4ヶ月目に激しい喘息(?)発作に襲われた。息が苦しく、一人で立って歩くこともままならず、いつ死ぬのかという不安で肉体的だけでなく精神的にも一人でいるのが怖く、妻の肩に寄りすがるようにしていないと不安を感じる毎日であった。
米国で受けた治療は日本で受けられないものかと思ううち、帰国された長屋先生のことを思い出し、アメリカの友人を通じて先生が久我山病院で診察されておられることを聞き知った。早速調べ当てて診察を申し込み、確か3週間後に順番が来て診療が始まった。その年の師走も終わろうとする頃であった。当時、久我山病院まで電車を4つ乗り継いで2時間以上もかかる横浜に住んでいた。しかしノーチョイスで久我山病院へ通うことに意を決し、アメリカから帰国後初めての減感作治療が再開された。150を超える抗原による皮膚テストの結果37種類のアレルゲンに反応があった(内、食物については54種類のアレルゲンに対して、玉葱に弱陽性、ナツメヤシに中陽性、白黒コショウに強陽性と出たので食事の際はこれらを避けるようにしている)。反応があった内訳は、13種類に中程度、23種類(木の花粉6種、イネ科の草の花粉3種、シバの花粉4種、ダスト5種、カビ5種)に強度の反応があったようで、それらの混合希釈液での減感作注射が始まった。
医師の患者である私に対する態度はアメリカ中西部で他の医師から受けた治療の体験とははじめから異なっていた。プリックテストから毎回の注射に至るまですべて先生自身がやり、注射が終わった後の反応を先生自ら手で触って確かめるという徹底したものである。注射局所を触られたときに、忘れかけていた初めて先生の治療を受けたロスアンゼルスの頃を思い出した。先生の指で初めて腕にふれられたときは戸惑いながらもその指の感触が患者である私の全身に満幅の安心感を与えてくれた。そのことがここ久我山病院で彷彿としてきた。
三.米国での治療体験
長屋先生の治療の仕方は米国で受けた治療とは大分異なっていた。と言うのも、中西部へ行ってからの治療はインディアナでもミシガンでも主治医の問診・診察以外はテストを含め注射およびその後の反応のチェックはすべて看護婦がやっていたからである。もっとも、看護婦による事後チェックは反応に異常があるかないかのチェックをするだけであり、異常があれば医師が出てくるという感じだった。
ここで、看護婦について付言すると、色鮮やかな頭髪と碧眼高鼻の面立ち、それに圧倒的な体格差に戸惑いながらも落ち着いて観察すると、いろいろなタイプがいた。用心深い丁寧なタイプから力ずくでやるタイプもいて、スクラッチテストや注射されるときにある程度身構えていないと予期もしていない痛みや出血に耐えさせられることもあった。タイプによっては繊細な感覚に疑問を感じる看護婦もいてまた、その大柄な風貌にも拘らず患者に対してきめ細かな配慮をするタイプもいた。自らの任務を全うすることが主でスクラッチテストのときは確実に傷をつけるということに集中し、この点その責任感と専門意識の強さに好感を感じたが、患者の痛みを軽減するための意識に疑問を感じるタイプもいた。また、忠実に注射のフォーマットに従ってやっているようで、最初の数ヶ月は週2回、その後数ヶ月は週1回、その後は月2回・・・、という具合に注射の反応如何に無関係に注射のスケジュールが決められているらしく、ある日、調子が悪いので週1回の時期に2度目の注射を求めて診療所を訪ねると「あなたは今日は注射出来ません。スケジュール上、あなたには今週は1回しか注射できないことになっていますから」と追い返された経験がある。このことからも、長屋先生の治療法が如何に患者個々人の症状に合せた緻密なものであるかが分かる。
ここで、私の子供の治療体験について少し記しておきたい。我が家族はカリフォルニアで2人の子供を授かった。現地での子供の医療は日本と異なっていた。4,5歳になっても日本では小児科扱いだと思うが、米国では小児科は出産時と乳幼児期以外はうちの子供はかかったことがなかったと思う。3歳ぐらいから大人と同じように耳鼻咽喉科にかかり、娘が5歳でアデノイド手術をしたときも耳鼻科の医師が執刀にあたった。病人は小さいときから専門の医師がみるというのが米国の医療なのか。アレルギーについては乳幼児期からアレルギー専門医がみるので、耳鼻科、咽喉科、皮膚科、アレルギー科など、医療の分野での重複を避ける体制が確立しているようである。アメリカ憲法が年齢のよる差別を禁じている原則がこの分野にも浸透しているのか、と合点がいった。
四.住居環境の整備と長屋式減感作療法の励行およびその効果
この治療を続けるには私にとっていろいろ負の誘惑もあった。たまたま私の身内には耳鼻咽喉科の専門家もいて減感作療法の効果を疑問視しており、「半年もやって効かないときは続けるのは無駄でしょう。」と言い、早めに切り上げて漢方などに頼ることを薦めてくれるアドバイスもあった。しかし、アメリカでの経験をたよりにこの治療を続けた。はじめは週に毎日6日間、毎回6〜7時間かけて減感作注射のために通い続けた。私は家族も含めて将来とも長屋先生の診察を受けることが必要になると感じ、思い切って病院の近くへ引っ越すことにした。購入したマンションには完全なリモデリングを施し(床は畳を撤去しすべてフローリングにし、天井・押し入れ・壁を板張りにしたうえでビニール製の模様紙で覆い、カーテンはビニール製のブラインドに替え、埃の原因となるものすべてを排除し)た。勿論、寝具類は家族全員の分を防カビ・防ダニ用のものに新調し、思い出のこもったすべての品々を捨てるか倉庫にしまいこんだ。そして引越してからは5分で病院へも通えるようになった。減感作療法の効果は気づかぬペースで徐々に出てきて、3年目頃からは週3〜4回、5年目からは週2〜3回でも楽になったような気分的なゆとりを感じられるようになり、8年目にして漸く人混みの中に出れるようになった。また、そのころから、外出して学友との旧交を温めたり、10年来やめていたゴルフもできるようになり、歌舞伎や音楽会にも二の足を踏むことも無くなった。旅行も出来るようになり、昨年は、一泊旅行で伊勢神宮へ赴き伊勢志摩国立公園をドライブしたが何らの支障もなかった。今では朝晩の吸入以外は普通人の生活ができ、完全に社会復帰ができている。長屋先生は他の多くの患者がそう言っているように、まさに私にとっても命の恩人と言っても過言ではない。
以上、減感作療法に中心をおいて述べてきたが、勿論、気管支拡張のためのベネトリン・食塩水の混合液の吸入は8年間、一日4回(苦しいときはさらに1〜2回追加)を基本に欠かさず続けた。8年経って楽になってからは朝昼晩の一日3回、現在は一日2回で済んでいる。さらに対症療法である吸入ステロイドもベネトリン・食塩水の混合液吸入直後は必ず行なってきたことは言うまでもない。現在は吸入器使用後にパルミコート(吸入ステロイド)を二呼吸ずつ吸入している。これは長屋先生の指示に従ったものだが、アレルギーを治すためには減感作療法と薬物による対症療法があたかも車の両輪の如く不可欠であるとデトロイトの主治医からも聞いていたことも先生の指示を理解するのに役立っている。最近、先生の著書を身を入れて読んでからは他の病院で避けたらと言われていたテオロングも気管支拡張に有用だということが判りまた特に副作用を感じないので朝晩飲むようにしている。とにかく、ぜん息との闘いはそんなに生易しいものではないということをまずもって肝に銘じておくことが肝要であると自分に言い聞かせた。こんなに長い間毎日苦労する理由はただ一つ、窒息死を避けたいからである。身体の一箇所を除いてすべて健康そのものでも息ができないで窒息死することほど恐ろしいことはない。こういう状態になると医師も家族も何もできず、ただ絶命を待つこと意外に何もできないでいるところを実際にみたことのある人ならその恐ろしさが判るであろう。
五.小児ぜん息について
 私の息子は6歳で帰国したが、風をひきやすく就寝中咳き込むことが多かったので長屋宏医師に診てもらうと、ぜん息になっていることが判明した。所謂小児ぜん息である。その原因アレルゲンを特定すべく、すぐに皮膚テストを行い46種類のアレルゲンに対して強陽性の反応が出た。特にダニのアレルギーに強い反応を示していた。高校受験までの約10年間私と一緒に減感作治療を受けることになった。その効果か、今は落ち着いている。長屋先生の著書によれば、公害ぜん息の認定をうけた小児ぜん息の患者の99%がダニに強いアレルギーがあるという臨床結果が出ているという。公害によって喘息になったのではなく、家庭内のダニによって喘息になっていることをもっと政府は知るべきではないか。公害ぜん息のための政府予算をダニアレルゲンの減感作療法の普及にも使えればどんなに小児ぜん息患者を救えるか計り知れないのではないかと思う。 
六.アレルギー免疫療法(最新の減感作療法)はなぜ効くのか
 最新の学説によると、アレルギー体質の人はそうでない普通の人と比較してアレルギー反応を抑制・コントロールする細胞の量が少ないためにアレルギー反応が過剰に起きる傾向にある。しかし、減感作注射によって免疫細胞のなかのアレルギー反応を抑制コントロールするTR細胞という細胞が注射回数と比例して増大し限りなく正常人(アレルギー体質のない人)の量に近づくという。そして、長年に亘り減感作注射をしているとその働きをする細胞の子孫まで体内に蘇生する可能性があるというのである。これにより注射をやめてもこの細胞が多ければ多いほど長年に亘り(10〜15年)アレルギー反応が抑制され続けられるということが明らかになったという。アレルギー体質の私にとってこの上ない朗報である。他の用事を犠牲にしてでも手間を厭わずに減感作のために病院に来たいという誘引の力強い支えになっている。これまで十年以上に亘る病院通いが無為に終わるのではなくその苦労が身体のなかに財産として蓄えられつつあるということである。なんともうれしい充実感に浸らしてくれる理論である。
七.日本の減感作療法の現状
1.では、日本でこの徹底した減感作療法が行なわれているのだろうか。
この質問に対する答えはイェス・アンド・ノーであろう。しかし現在の日本では最初のイェスは残念ながら限りなくノーに近いイェスでしかない。その理由は、私の知る限り、まづ第一に、大半の医療機関で行われていないということ。第二に、主要な専門医療機関で行われていたとしてもハウスダストなどの限られたものについてしか行われていないこと、という点である。国民の少なくとも3割(4千万人)がアレルギーに冒され、毎年、3000人を超えるぜん息死をひき起こしている日本においてアレルギーの根本治療法である減感作療法が欧米先進国にこのような遅れをとっている日本のアレルギー医療の一刻も早い改革が必要である。私が久我山病院に来る前に日本で受けた治療では、今頃私は病死していたのではないかと思い、日本のアレルギー医療のレベルの低さというより恐ろしさを身をもって感じている。
長屋医師による100を超えるアレルゲンの皮膚テストの結果、私は37種類のアレルゲンに対して反応があった。この反応があった中の強陽性のアレルゲンすべてに減感作注射できて初めてアレルギー反応から解放されたのである。そしてそのために8年の通院という歳月を要した。もしこの通院と長屋先生の治療がなかったら今の私の存在はあったであろうか。10年前、私はあたりが薄暗く感じられ、ただ息苦しく、死ぬのではないかという不安で自らをコントロール出来ず、妻に支えられなければ立ち上がることもできなかったのである。親戚の薦めに従って大枚はたいて無益な漢方に明け暮れていたらどうなっていたか、どこか他の病院でステロイド漬けにされ骨をやられて寝たきりになっていたか、あるいは暗い夜に突然の発作による窒息により絶命し人生を終えていたかもしれない。でも私は今元気に生きている。それは長屋医師による米国並みの最新の減感作療法すなわちアレルギー免疫療法を受け続けてきたからである。
2.日本のアレルギー根本医療環境の貧弱さ
では、今の日本に私を治してくれた37種類のテスト溶液と治療液があるであろうか。(→ない。)
その前に、そもそも37種類のアレルゲンが如何にして特定されたかから説明が必要ではないか。それは100種類を超えるアレルゲン(すべて米国製)で皮膚テストした結果判明したのである。(→十分なアレルゲンもなければ皮膚テスト溶液も注射液もない。不完全な結果しか得られない血液テストしか行われていない。よしんば血液テストでアレルゲンが判明しても減感作のための注射液が限られている。→テスト代を払っても注射はしてもらえないのが実情。)
現在の日本には花粉についてはテスト溶液で12種類、治療液で4種類(うち重要なものは2種類のみ)しかない。花粉以外では、私の最も反応の強いダニのエキスがテスト溶液・治療液ともに標準化されたものがないという。更に私にとって重度の反応のある数種のカビについても米国には19種類あるのに対して5種類しかなく、日本には殆どないと言っていいに等しい。スギ花粉症のひとの4人に3人はヒノキの花粉症があり、さらに2人はマメノキ・オリーブ・ニレ・カシ・ヤナギにも花粉症をもっていることが臨床上明らかになっている。このことからもスギ花粉症の患者にスギだけ注射してアレルギーが治るはずがないのは明らかである。
この状況が日本で減感作療法が効かないといわれる唯一の原因だと聞いている。私が今こうして普通人の生活が出来ているのはアメリカから輸入されたテスト溶液・治療液によっている。日本にあるものだけの治療では私の快適な今はなかったと断言できる。
日本では50年前からこの状態が変わっていないと言われている。
3.日本のアレルギー医療を阻んでいるものは何か。
 少なくとも二つのことが考えられる。
@ かつて減感作療法が初めて日本で始められた頃、東大の現役学者が喘息を患らっていたことから自らの手製のエキスで自分に注射しアナフィラキシーをおこして死亡した事故があったという。この事故以来、特に東大系の学者の間に減感作療法に対する恐怖が広まり、アレルギー学会の趨勢としても、医師にとってより安全な薬物による対症療法に傾斜していったという見方をする人もいるという。減感作療法においても、特にダニへの恐怖が強く、ハウスダスト(中身が何だか不明な、しかしダニよりは安全?→中身が不明ゆえに危険なはずだが)による代用の習慣ができたようである。学者の間に恐怖による科学的思考の放擲が続いているのだろうか。海外では患者救済のために減感作療法の技術が日進月歩を遂げている間に、日本では50年前の減感作療法がいまだに続いている。これは許し難いことではないであろうか。
A 大学内の既得権益争いも関連しているようである。
ある大学でアレルギー学部の新設の話が持ち上がった。教授会で学部新設の討議がなされたが、耳鼻咽喉、皮膚、小児、各学部その他の学部からの強い反対で否決されたという。患者救済のための討議ではなく各学部の権益争いのうちにこのアレルギー学部新設のアイデアは葬り去られたという。
以上、@、Aの事実から日本の医学界が如何に患者を無視した状況にあるかがわかるであろう。
4.学界も政府も患者のための医療をやってきていないと言ったら言い過ぎであろうか。アメリカでもフランスなどのヨーロッパでも普通に行なわれているアレルギー免疫療法(最新の減感作療法)がなぜ日本だけで行なわれていないのであろうか。私はアレルギー患者を薬漬けに放置し続ける厚生労働省・日本のアレルギー学会に翻意を求めたいと強く希望したい。厚労省はアレルギー学会に長年に亘り国民の血税を注ぎ学会はその血税をアレルギーの苦しむ国民を救うことのできる(WHOが認める)根本治療法であるアレルギー免疫療法(最新の減感作療法)の実施拡充に努めるべきである。にも拘わらず、対症療法としての薬物療法に集中している。これは患者の苦しみを一時的に和らげるだけの弥縫的な治療法に過ぎず、ただひたすら製薬会社を利する結果になっている。何とかこれを改め、患者のための治療を日本に実現して欲しい。
八.日本のアレルギー医療の改革のために
私は我々アレルギー患者が根本治療を受けられるようになるためには日本のアレルギー医療の改革が必要であると叫びたい。アレルギー医療の主役である日本アレルギー学会、厚生労働省に対して日本のアレルギー医療の改革のために次の提案をしたいと思う。
最重要点
T。薬物による対症療法はアレルギーを一時的に抑える弥縫的な治療法に過ぎない。対症療法はアレルギーによる修復不能な呼吸気道のリモデリングを根治することはできない。
U。アレルギー免疫療法(徹底した減感作療法)は アレルギーを治せる唯一の根本治療法であることは1997年にWHOも宣言している。日本以外の先進国はすべてこの治療法を実施している。これを日本でも実施することが急務であること。そのためには日本アレルギー医療改革のために以下が必要であること。
1.アレルギーの原因を突き止めること。通常、複数(20〜30)あるのでそれらを出来るだけ多く確定することが必要。
2.そのためには皮膚テストが必要であること。殆どの医師は血液テストしかしていない。血液テストでは小児やアレルギーになりたての患者には発見できず、見逃す可能性大。〈アレルギーテストは体内のIgEの有無・量を測ることだが、IgEはアレルギー反応とともに身体の外表(皮膚・
呼吸気道・鼻胃腸壁など)にまずたまり、その部分に十分たまってから残りが血液中にたまってゆく。〉
3.そのためには十分なテスト溶液が必要であること。日本には限られており、これを早急にふやす必要がある。
4.テストで分ったアレルゲンの減感作注射が必要であること。
そのための注射液が必要であること。→十分にない。
5.その注射をすることの出来る医師がいなければならない。→いないと言って良いほど限られている。
6. 以上につき日本アレルギー学会は何をしているか→対症療法に終始。
国民の少なくとも3割(4千万人)が何らかのアレルギーに悩んでいるという現実の中で、厚生労働省は、国民がアレルギーから解放される唯一の根本治療法であるアレルギー免疫療法(徹底した減感作療法)に目をつぶり続ける日本アレルギー学会に国民の血税を注ぎ続け、徹底した減感作療法に不可欠なテスト用・治療用エキス拡充が急務であるにもかかわらず、国民を救済すべき施策への要請を50年に亘って放置し怠り続けている。
以上を改め、早急に、50年遅れたアレルギー医療改革に着手すべし。

《U》
                            東京都杉並区(女性)

私は幼児期から食べ物や動物などにアレルギーがあり、皮膚科に通ってきました。20歳の冬に犬を飼い、その頃から呼吸が不自然になり始め、歩くのが辛くなってしまい大学病院で診察を受けました。その時は過呼吸との診断を受けしばらく薬を飲んでみましたが、回復の兆しがなく、昼間も息苦しい、寝ると苦しくて起きてしまう状態になり、同じ病院で検査を受けました。結果はアレルギー喘息との診断でした。この頃からは、刺激物、例えばチョリソやキムチ、炭酸飲料などを口にするとすぐに息苦しくなってしまい、温度の急激な変化にも敏感に反応してしまう程でした。皮膚も過敏で弱かったのですが、かぶれや湿疹などでステロイド入りの薬を長い間使用したため、副作用で顔は赤く腫れてしまいました。手につける薬を勝手に顔につけてしまったのですが、この頃はまだステロイドの間違った使用に気づかず2年近く使用してしまいました。そんな状態で外出するのも怖くなってしまい、仕事を辞め家の中で過ごすようになりました。そんな日々が続いたある日、父からアレルギーの免疫をつける注射をしている病院があることを聞き早速試してみることにしました。24歳の時だったと思います。そしてその頃、伯父のいる職場で1年間だけ勤めてみましたが、やはり体力が続かず随分と迷惑をかけてしまいました。職場の方たちが皆さんとても優しい方ばかりだったので、感謝の気持ちと同時に、休んだり仕事ができなくなると申し訳ない気持ちでよく落ち込んでいたことを思い出します。その後はアルバイトをしながら免疫注射を続けました。国で認められているアレルギーのエキスをしながら、1ヶ月半ごとに腕に注射(1本)する治療法でした。ですが、3年半続けてみましたが改善の兆しが感じられず治療をやめました。
その後27才の冬にカゼをひいてしまい、喘息もひどく、家で休んでいる時に、友人が探してくれた本が長屋宏先生の『減感作療法でぜんそくは治る』という題名の本でした。何種類のもの喘息の本が並んでいる中で、題名が他の本とは全く違っていたそうです。そして私も「減感作」という言葉に興味を持ち、すぐに読みました。難しい記号や言葉などもあって全てを理解した訳ではなかったと思いますが、この治療法を受けたいと強い想いで、長屋先生のいらっしゃる久我山病院に電話を入れました。予約の患者が多数いて4ヶ月近く待ちました。受診が始まり4回に渡る検査の結果に驚きました。それは、125種類のアレルギー源のうちの96種類に2以上の陽性反応が出て、その内3以上の反応を示したものが55種類あったことです。この時なぜ3年半も免疫治療をしたにも拘わらず、症状に改善の兆しがみられなかったのか納得できました。それは50種類以上に強い反応があるのに対して、数種類の国で認められているエキスの注射だけでは、あまりに不足だったのだ、と。結果を元にできる限りのエキスを作って頂いて治療が始まりました。
この頃まではまだ犬(陽性反応4)を室内で買っていたこともあり、身体が痒くなったり、シャンプーをしてあげると途中で喘息の発作が出ていました。相変わらずカゼをひくと喘息が出てしまい、何回か救急で点滴をしてもらったり、花粉の季節、特に春には鼻が止まらず、鼻や顔の皮膚が痒く、薬なしではいられないほどでした。治療を始めて数年で、わずかではありますが改善の兆しを感じていました。喘息の薬を飲まなくても喘息が出なくなっていたからです。犬を親戚に預かってもらったことも良かったのかもしれません。2年程で、また犬と一緒に生活をするようになりましたが、できる限り喘息が出ないように防備しながら生活していました。とはいっても、本当に大好きな愛犬だったので、抱いたりシャンプーもしてしまい痒みも喘息もまた出るようになりましたが、以前に比べると症状が軽くなっていました。3年前に愛犬は亡くなりましたが、この頃からアレルギーの症状が良くなっていました。昨年の春には花粉症に殆ど悩まされることなく花見に2回も行くことができました。秋には2度カゼをひきましたが、喘息は全く出ませんでした。皮膚の方もここ10年の間で最も良い状態です。10年の間で、3回の検査(ブリックテスト)を見ても3以上の陽性反応の種類の数が減っています。

   3以上の陽性反応           2以上の陽性反応             
1997年(1回目) 55種類     1997年(1回目) 70種類
2000年(2回目) 53種類     2000年(2回目) 82種類
2004年(3回目) 36種類     2004年(3回目) 69種類

<血液検査>
血清総IgE
2002年  155 iu/ml
2004年   66 iu/ml  

2以上の陽性反応で見ても2回目の検査で種類が増えましたが、3回目の検査では一番減っています。血液の検査でもIgEが2年で半分以下まで減っています。今年は4回目の検査を受ける予定でいます。
アレルギー体質がなくなった訳ではありませんが、今は喘息で悩むことなく薬を飲まずに日常生活が送れるようになり、何よりも嬉しく思っています。治療を始めて10年になりますが、ここまでの道のりは山あり谷ありでやはり大変に辛いと思うこともありましたが、やめずに続けてきて良かったと改めて思っています。そしてこれからも治療を続けていきたいと思っています。それとともに長屋先生は言葉で言い尽くせないほど感謝でいっぱいです。
減感作で使われているエキスを国で認めてもらえることを、そして全国で悩んでいる多数の患者さんのためにも、この治療が受けられる病院が増えることを強く望んでいます。
平成19年1月

《V》
                       30歳代 主婦(東京都世田谷区主婦)

 私が喘息になったのは、中学2年の冬でした。当時は福岡県北九州市に住んでいました。
その時は風邪を引いて肺炎になりかけたのですが、初めて苦しい発作を経験しました。まずセキが止まらず、呼吸がうまくできず、食事も、歩くこと・寝ることも、横になることもできず、ただただ苦しくて苦しくて、自分でもどうしてよいのかわからず、涙が止まらなかったことを覚えています。親も初めての経験なので、どうしてよいのかわからず、とまどっていました。次の日、歩くことも困難でしたが、病院に行き、気管支喘息と診断されました。病院で点滴・吸入をしたら、少し楽になりました。それからは風邪を引いた時や季節の変わり目に発作が起きるようになりました。
発作が出た時は、かかりつけの病院で薬をもらい、吸入・点滴をしてもらっていました。その当時は年に3,4回発作が起こるくらいでした。
19歳の頃、仕事が変わり、精神的なものもあり、睡眠時間があまりとれず、ハードな生活が続いていたのですが、その頃、毎日のように発作が起きるようになりました。仕事が終わった後の電車の中で発作が起きて、そのまま夜間、病院に行ったり、毎朝点滴を受けてから仕事に行ったりしていました。はじめて入院をしたのもこの頃でした。それからは4,5回、入・退院を繰り返しました。ステロイドの副作用のせいで体重も増え、顔がパンパンになった時もありました。その頃、喘息体操をしたり、漢方薬を飲んだり、家で猫を飼っていたので家を出て部屋を借りて住んだりと、喘息についていろいろと勉強し試してみました。(薬ももう飲まなくてよくなりました)。親にもかなり心配、迷惑をかけました。それからは調子も良くなり、前のように年に3、4回発作が起きる程度でした。でも、前よりは呼吸の仕方や楽な姿勢がわかるようになったので、気持ち的にも楽になりました。
22歳の時、仕事で福岡から東京に行くことになりました。23歳で結婚し妊娠。その頃は年に何度か軽い発作が起きる程度でした。そのまま東京で暮らすことになったのですが、仕事を辞め1日中家にいるようになってからは、毎日毎日自分の家族、友達、生まれ育った町のことを思い出しては泣いていました。マタニティーブルーだったこともあるのでしょうが、とにかくひどいホームシックにかかっていました。そんな精神状態だったからか食事もほとんどとれず、妊娠しているのにあまり体重が増えませんでした。
出産のため福岡の実家に帰り、無事、発作も起こらず、2,422.8gとやはり小さかったのですが、元気な女の子を出産しました。

退院して実家にもどって1週間くらいしてからセキが出るようになりました。「風邪を引いたのかな?」と思っていたのですが、変な苦しいセキがずっと続くのでおかしいと思い病院に行ったら、喘息と診断されました。久しぶりの喘息だったのでその苦しさを忘れていて、「これが喘息だったの?」とびっくりしました。それからは日に日に悪くなり、とにかくセキがひどく声が出なくなるほどでした。
実家から東京に戻ってもそのセキは毎日続きっぱなし。主人の友人に喘息専門の病院を紹介してもらい、家からは遠い場所だったのですが、毎週義父が車で連れて行ってくれました。
子どもが生後4、5ヶ月の頃、急にはげしい発作が起きて夜に救急病院に行き、ボスミンを打ってもらい、点滴を受けて落ち着きましたが、何ヶ月もこの状態が続いているようなら入院しなさいと言われ、すぐ入院しました。それからは、退院しては発作が起きて毎日点滴を受けに行き、夜中も発作が起きれば注射、点滴、吸入の繰り返し。そしてまた喘息がひどくなってきて、5、6回入退院を繰り返しました。毎日セキ、発作が起き、普通の生活どころか子どもの世話もできないくらいでした。
その頃、喘息にいいと聞けば何でも飛びついていました。「あそこの病院がいいよ。」と聞けばそこに行き、漢方薬、健康食品、はり、お灸、その他いろいろありますが、1つの物、場所でなく、何でも試しました。中には怪しいものもありましたが、藁にもすがる思いでした。家では主人が取り付けてくれた酸素を毎日夜にして寝ていました、
ステロイドを飲み始めると、少しは呼吸も落ち着き、普通の生活も送れるようになりました。けれどもセキは毎日出ていて、呼吸が「ヒューヒュー」といっていました。

2年くらいステロイドを飲み続けていた頃、2人目の子どもがほしいと当時の先生に相談しました。「じゃあステロイドを止めよう」と言われその日からステロイドを止めることになりました。その後は日が経つにつれて調子が悪くなり、セキが止まらない、息はできない、食事はできないという状態でした。1,2ヶ月経った夜、急に息ができなくなり、いつもの発作と違うと思い、主人にすぐ行きつけの救急病院に連れて行ってもらいました。そこには若い整形外科の先生しかおられなくて「あまり強い薬は使えない。」と注射はしてもらえず、とにかく吸入、点滴をしてもらいましたが良くならず、その先生に「これ以上わからない」と言われ、待合室で待たされていました。息もできず座っているのもとてもつらかったです。そんな時、主治医の先生がたまたま忘れ物を取りに病院に戻ってきたところ、私に気付いて診てくれることになりました。そして注射、点滴をやってくれました。それで前よりは少し良くなったもののまだまだ息苦しさは変わらず、点滴をしながら疲れてきてぐったりとなっていました。点滴の2本目が終わった頃、息ができなくて苦しく、だんだん意識がなくなり、スーッと逆に気持ちが良くなり、周りが真っ暗というより黄色で明るかった気がします。「あっ、これは死ぬな。」と感じました。主人、子ども、親、友達、それまでの26年間の全てのことを早送りで思い出しました。それからは全く記憶がなく、後で聞いたのですが、呼吸が止まり、先生、看護師さんたちがあわてていて、それを待合室で見ていた主人は何が起きたのか、その状況を見て足ががくがくして震えが止まらなかったと言っていました。先生に「2,3日もつか…。会わせたい人にすぐ連絡してください。」と言われたそうです。私の母も福岡からすぐ来てくれました。
気がつくと私は重病人の患者の部屋に入り、人工呼吸器を付けていました。2、3日経つと、主人は先生から「回復に向かっているので安心していい。」と言われたそうです。先生、看護師さんも驚いていて「奇跡だ」とおっしゃっていたそうです。1週間は薬で眠っていたのですが、目が覚めて私はびっくりしました。まず「生きている」と感じ、となりには主人がいて、先生、看護師さんにやさしい笑顔で言葉をかけてもらい、私は助かったんだな、と実感しました。まだ話をすることもできなかったのですが、話したい事、聞きたい事がたくさんありました。自分では夜、病院に行って点滴してもらってからは記憶がなかったので…。(あとで先生に聞くと1度は心停止したそうです。)
それからはだんだん回復し、3週間ほどで退院することができました。退院後は、ステロイドを飲み続けたほか、他の薬も飲み、1週間に1度病院に点滴をしていました。ある日、私の担当医が他の病院にお移りになると聞きました。そこは家から遠い場所で、通院することはできませんでした。悩んでいた時、義父から久我山に喘息専門の有名な先生がおられるらしい、と聞きました。義父はタクシーの運転手なので、いろいろな噂を聞いていたのです。良いきっかけだと思い、これまでの病院に通うのは止め、久我山病院アレルギー科の長屋宏先生に電話をし、予約しました。

長屋先生に初めてお会いした当日は、それまでのことを話し、当時飲んでいた薬をお見せしました。長屋先生がすごく怒っておられたのを覚えています。まず2年近く飲んでいたステロイドを急に止めたこと、そんなことをすれば症状がひどくなるのは当たり前だと言われました。痰を抑える薬も飲んでいたのですが、痰は出さないといけないのに、そんなことをしたら痰が切れないでしょう、と言われました。
それからは長屋先生の御指導の下、週に2、3回、減感作の注射を受けるため久我山病院に通いました。減感作の注射を打つようになってからは、日に日に自分の体調が良くなっているのがわかりました。それまでは毎日セキが出て、話をする時もゼーゼー、ヒューヒューと喉が鳴っていたのに、セキも出なくなり、楽に呼吸ができるようになりました。とにかく安心して毎日を過ごすことができるなんて本当に幸せです。
長屋先生に初めて診てもらってから9、10年経ちましたが、その間発作が起きて夜に病院に行ったことは1度もありません。大きな発作が起きたこともありません。年に2回の衣替えの季節に呼吸が苦しくなることはありますが、吸入すれば治まるようになりました。
今までは喘息のせいで、特に出産後はひどく毎日が苦しく不安で、家族のみんなに不安をかけていました。けれども長屋先生に出会ってからは、そんな苦しい思いをしていたのがまるで嘘のようです。ステロイドも少しずつ減らし、2、3年で止めることができました。平成16年7月に無事に待望の2人目を出産することができました。もっと早く長屋先生に診て頂ければよかったとは思いますが、これからも長屋先生の下に通って治療を続けていきたいです。

今はアレルギーの方がすごく多い時代です。喘息で苦しんでいる人は大勢いらっしゃると思います。1人でも多くの方にこの減感作療法という治療法をお教えしたいです。
知り合いで喘息の方を聞いて2人ほど長屋先生に紹介しましたが、2人とも嘘のように良くなったと喜んでいました。
最後に、7年間も一緒に私の病気とたたかってくれた主人と主人の家族、私の両親にありがとうを言いたいです。面倒を見てやれなかった子どもへ、ゴメンネ。

《W》
体験記
男性61歳(東京都新宿区在住)

私が9歳の時、初めてぜん息の症状が出ました。息ができない苦しさは本人にしか解らないつらいものです。
 このとき以来、「治りたい」、「治るなら何でもしよう」と思い医師に指示された薬物療法は勿論のこと、漢方薬の服用、鳥の生き血やなめくじを飲んだり、等々、西洋医学から迷信に至るまで、あらゆる試みをして参りましたが十分な効果は得られませんでした。代わりに体力造りに励みました。
 体力がついてくるに従い発作の頻度は減ってきましたが季節の変わり目には、定期的に発作が起き、安定した生活ができない状態が続いていました。
 50才を過ぎた頃、花粉症によるアレルギー性鼻炎が進行しているなか、ぜん息の発作が起き、寝たきり状態になってしまいました。病院での治療は「ぜん息は治りませんからね」と、まともに相手にされず、対症療法(一時的に症状が改善されても薬を止めれば再発し悪化)である気管支拡張剤・ステロイド・抗アレルギー剤などを使い続ける、まさに薬漬けの毎日でした。しかし、強烈な発作にはこれらも効果なく、苦しみのどん底に喘ぎ、死を考えるようになりました。またステロイドの副作用で身体の部位に異常が起き、別の不安も抱えることになりました。
 3年間苦しんでいたある日、近くの本屋さんで「ぜん息は治る」(長屋宏著)という本を見つけ、さっそく買い求めて読んだところ、これは本物だと思いました。先生の経歴(フルブライト留学生)、米国における実績あるアレルギー治療法=米国式減感作療法を修める)から、ぜん息の原因がアレルギーにあって、その治療法は抗原(ダニ・花粉・カビなどに対する抗体反応=炎症を起こすもの)を抑えこむための物質(抗体)を体内に植えつけ、反応を阻止する免疫療法と理解しました。
 海外の医療事情に詳しい友人の話から、「免疫療法は治療期間が長く、忙しい現代人はすぐ結果を求めるため、治療が続かない。また医療制度上のこともあり日本では普及していない。しかし、欧米では実績があり、非常に効果の高い治療法である。」と聞き、確信が持てました。
 まず、アレルギーの皮膚テストを受けたところ、125種類のアレルゲンのうち43種類に反応があり、特にダニ・スギ・カビに強い反応が出て、多種のアレルゲンがあることが判りました。先生から発病の原因やメカニズムの説明を受け、その指導のもと、まずアレルゲンを回避する対策(室内の徹底した清掃)、そして、皮膚テストの結果に基づきダニなどの反応のあったアレルゲンのエキスを作り、皮下注射による減感作療法(私の場合、3年間は2日に1回、以後は3日に1回の割合)を始めたのです。症状が安定するまでの2〜3ヶ月は薬物療法を併用し、その後は減感作療法のみでも発作が起きないようになりました。先生の治療が始まってから今日に至るまでの5年間、一度もぜん息が起きておりません。また、花粉症の鼻づまりで口でしか呼吸できなかった鼻炎も治りました。まさに奇跡が起きたのです。この結果を受け、二人の子供(花粉症・アトピー性皮膚炎)にも週1回治療を受けさせ良くなっております。
 現在、わが国で推定4千万人いると言われているアレルギー患者の中で、長屋先生は
16年アメリカから帰国され延べ1500人の患者を診てこられました。
その1500人の中の一人になれたことは、宝くじに当たったに等しい幸運を手に入れた気持ちです。我々患者は救われていますが、まだ多くの人々が昔の自分のように適格な治療法方がわからないままさまよっています。この現状に対し、日本アレルギー学会・それに連なる医師および国は長屋先生の治療法を認めようとしておりません。WHOが認める唯一の根本治療法をなぜ普及させないのでしょうか。
 その理由は、「知識がない」、「知ろうとしない」、「注射は手間がかかるが薬の投与は簡単」「薬は一時的に症状を抑える故に医師は自己満足できる」、「減感作は儲からない」、「薬漬け政策」、「独自で開発したい権威主義」、「国からの研究費の確保」、「保険制度の不備」、などさまざまでしょう。その結果、日本のアレルギー診療は欧米に比べ50年も遅れてしまいました。この遅れを取り戻すためすべてのアレルギー患者は声を上げる必要があります。なぜなら我々患者がこの遅れの唯一・第一の犠牲者だからです。
 私はこれまでの体験を顧みて、「現代医学は一病治すが一病作る」と言われる意味がよくわかりました。アレルギーについてもまた抗生物質の大量投与により患者の増大を引き起こしたのでしょう。副作用の多い薬物による対症療法を減らして免疫療法や予防医学が現代医学の主流となることを願うものであります。
                                      以上
《X》
減感作療法による私のぜんそく治療体験

                                 男性 70歳

 私は減感作療法は、月日のかかる治療法ではないかと思っております。現在は長屋宏先生の治療を受けてから15年間は、点滴、入退院、駆け込みもなく、坂道、階段、また足早に歩けるようになり、普通の生活が出来るようになり治療効果が上っていると思います。

 最初に体験したのは、勤務先の帰宅途中のことでした。運転中、突然激しい咳、痰、呼吸の苦しさに襲われ、運転が出来なくなり、運良く目の前に病院を見つけ、診察をしてもらった結果、気管支喘息と診断され、即入院となりました。点滴、のみ薬(7種類位)を服用し、15日位で退院しましたが、3ヶ月後に発作を起こし、点滴後、楽になりましたが、それ以後発作の回数が多くなり、薬の知識もなく不安に感じていたところ、TBSテレビ「ニュースの森」で減感作療法を知りました。さっそく予約を取ってから、3ヶ月後に長屋宏先生に面会し減感作療法の説明を受け、125種類の皮膚テストを受けた結果、かなりのアレルギー反応が出て驚きました。現在も治療を行っていますが、通院に片道3時間もかかり近くに治療が受けられる病院がないのが残念です。現在は風邪を引いても、くしゃみ、鼻水などの症状も少なくなり楽にすごしております。
 以上、私の体験談と致しますと共に長屋宏先生には深く感謝致しております。

《Y》
                         東京都 自由業(45歳)

私は京都の出身です。ぜん息を発症したのは2歳の頃でした。物心のつかない頃からぜん息発作に悩まされていました。小学校の頃は、ぜん息発作のため多くの日に登校できませんでした。発作が起きると呼吸困難に陥り、とても苦しく、こんなに苦しいのならいっそのこと死んでしまいたいとたびたび思ったのを、今でも憶えています。両親はいろいろと手を尽くしてくれましたが、あまり効果的な治療法にめぐりあうとはできませんでした。「小児ぜん息は大人になれば自然に治る」という医者の言葉だけが頼りでした。
小学校5年の時、京都市内での引越しを経験しました。それでぜん息発作の起こる回数が少し減ったように思います。しかし中学・高校生になっても、季節の変わり目や、梅雨・台風シーズンなどのじめじめした天候の日になると、必ずといってもよいほどぜん息発作は起きました。発作が起きるたびに医院に通院し経口ステロイドを服用して、発作を抑えるということを繰り返していました。また当時は鼻水がよく出る日もあったのですが、まだ花粉症という言葉もない時代で、どのように対処してよいのか分かりませんでした。
大学入学時に東京に上京しました。環境が変わったのがよかったのか、上京してからはずいぶんぜん息発作の起きる回数が減ったように思います。大学時代には発作は一年に数回で済み、いちおう落ち着いていました。
しかし、卒業・就職すると、また発作が起きる回数が増えました。今から考えると、のん気な学生生活から肉体的・精神的にストレスの激しい仕事生活に入った影響ではないかと思います。
そこで、仕事のない土曜日に大手病院に通院することにしました。そこで初めて減感作療法というものを受けました。ただしハウスダストだけの注射に止まっていました。テオフィリン系を中心とした経口の気管支拡張剤を毎日服用することにより発作を予防し、週末の土曜日にハウスダストの減感作治療を受けるというのがその大手病院の治療法でした。同病院の担当医師によれば、他に良い治療法はなく、またこの治療法を継続していれば徐々に症状は良くなるということでした。なおそのような中で27歳の時に結婚しました。
しかし上記のような治療法を続けても、あまりぜん息が快方に向かいつつあるとは思えませんでした。むしろ天候がじめじめしたり、仕事が忙しくなって疲れがたまったりするとたびたび発作が起きるようになりました。その頃にはぜん息発作のため有給休暇を取ることを余儀なくされたり、帰宅途中で呼吸が苦しくなり駅から自宅まで妻の肩にすがりながら歩いたこともあります。そこで大手病院でシオゾールという金製剤の注射を受けたり、吸入ステロイドの処方を受けたりしました。特に吸入ステロイドは、朝夜に処方されたとおりに服用しました。

しかしこれらの治療法もあまり奏功しませんでした。それどころか、数回にわたり、重い発作を起こし入院治療を余儀なくされました。時には外出許可を得て病院から勤務先に通勤したこともあります。だんだん経口ステロイドが手放せなくなり、自分で発作が起きそうだという予感がすると、先手を打ってステロイドを服用して発作が起きるのを予防したりしていました。
やがてこのままでは仕事が続けられなくなるという危惧を感じるようになり、それどころかいつ死んでもおかしくないという生命の危険すら感じるようになりました。たまたま同じ勤務先の会社で、私と同じように重いぜん息症状を抱えていたのに、ある先生の許にかかってからは急に快方に向かった方がいるという話を聞きつけ、その方にその先生を紹介していただきました。それが久我山病院の長屋宏先生だったのです。平成5年(1993年)の末、32歳の時でした。
長屋先生に多数のアレルゲンについて皮膚テストをして頂いた結果、ダニに強い陽性反応が出たほか、各種のカビ・花粉等、多数のアレルゲンについて陽性反応が出ました。長屋先生によれば、このように多くの原因物質が存在するのにハウスダストだけの減感作注射だけでは効果が乏しいのは当然であり、これら陽性反応の出たすべてのアレルゲンについてその陽性の程度に応じて減感作注射をすることが必要であり、かつそうすれば必ずぜん息はよくなる、ということでした。またこれまで用いてきた経口の気管支拡張剤や吸入ステロイドは、ぜん息発作が起きるのを予防・軽減するものであり、ぜん息を根治するためには上記のような徹底した減感作療法を行なわなければならない、という説明を受けました。
長屋先生の御説明は極めて合理的かつ明快で、その上詳細なものでした。真っ暗闇の中で急に光明が見えたような気持ちになったのを憶えています。そこで、それまで通院していた大手病院を止め、久我山病院の長屋先生のもとに通院する決断をしました。
長屋先生の下で減感作療法が始まると、たったの1ヶ月で早くもその効果を感じることができました。というのは、当時は季節の変わり目で発作の起こりやすい季節であったのに、一切ぜん息の兆候が感じられなかったからです。それ以降、毎週土曜日に通院して注射をしていただいてきましたが、それまでの30年間がまるで嘘のように何の発作も起こらなくなりました。また経口のステロイドの服用も一切必要でなくなりました。そればかりでなく、子供の頃から一貫して存在していた、初春を中心に鼻水が出るという花粉症の症状までがなくなりました。まるで魔法にかかったような気持ちでした。そしてそれとともに健康というのがどういうものなのか、その有難さを生まれて初めて実感することができました。生まれて初めて、ぜん息の恐怖に怯える必要のない、普通の人間の生活が送れるようになったのです。
以来、久我山病院に13年間にわたり通院しておりますが、その間一回もぜん息症状が起こることはなく今日まできています。また最近では毎週の通院は必要でなくなり、2週間の1回の注射でも大丈夫なまでになりました。今では自分は健康であると公言できるぐらい、自分の身体に自信が持てるようになりました。
このように30年間にわたるぜん息を治し、健康な身体に作り変えて頂いた長屋先生は、私にとってまさに命の恩人であり、どのような言葉で持って感謝すればよいのかわかりません。いくら感謝しても感謝しきれない気持ちでおります。



posted by AS at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月03日

長屋宏医師の講演議事録を再掲載

昨年9月に掲載しました標記の記事がブログから抹消されていますので再掲載いたします。
日時      平成18年9月28日 午後7時〜8時45分
場所      四谷区民センター11階集会室2・3(新宿区内藤町87)
議事録作成者  as

アレルギー理論の淵源
 アレルギーは最近でこそ花粉症などとしていろいろ問題になっていますが、人間の病気としては比較的最近に認知された病気です。実際には1800年代、物の本によれば1600年代が最初という説もありますが、花粉症のはしりとして医学論文が医学雑誌に現れたのは1819年J.Bostock(ロンドンの医師)によるものが最初です。『目と胸の周期性のやまい』(Case of periodical affection of the eyes and chest)という題名で自分自身の症状についての論文が発表された。当時はこのやまいの原因が花粉によるものとは結びつかなかったが、1870年代後半になって、このやまいが花粉症であることが知られるようになった。当時、顕微鏡の発明と共に色々な細菌の存在が確認され、いろいろな病気が細菌によって起こることが分かり、例えば1883年にジフテリア菌が発見され、1888年にフランスのパスツール研究所でジフテリア菌を培養し、無毒にしたジフテリア菌の毒素を注射することによってジフテリアに対する予防が可能だということが分かった。それ以来、ジフテリア、百日咳等、いろいろな病気が病原菌さえ見つかれば予防注射によって病気が起こらないということが知られるようになった。このような時代を背景に、当時、ロンドンのセントメリー病院の予防注射科でNoonという医師が、当時は花粉症とは言っていないが、hay feverと呼んでいた症状につき、その原因が花粉のなかに毒素が含まれていて、可能性として、その毒素のためにその症状が起きているのではないかと考えた。もしそうであれば、病原菌に対する予防注射と同じように、花粉の毒素を取り出してその毒素に対して予防注射をすれば花粉症らしき症状も治せるのではないかと考えた。しかし、その毒素があるとしてそれをどうやって取り出すかの方法もわからなかったが、花粉の中に毒素があると仮定して、花粉のエキス(抽出液)を作り、その原液を10倍、100倍、1000倍、10,000倍、100,000倍、と薄めることによって、その希釈液を、薄い順に、徐々に増量しながら、注射局所に反応がないことを確かめて、例えば0,03、0,05、0,07、0,10、0,20、0,30ccずつ注射していくことによって体がそれに対応して徐々に濃くなる毒素に慣れて抵抗力(resistance)をつけていくと考えた。このような注射を続けることによって多々起きることは注射後腫れるとか痒くなるなどの症状がでるので、その時は量を進めないで同じ量を再度注射するという方法を繰り返していって、最終的には最高濃度に到達することによって理論的にはそのエキスの中に入っているかもし知れない毒素に対する免疫もできると考えた。それが今日行われている減感作療法のはじまりで基本的には現在我々がやっている減感作療法と同じです。ただ、実際には花粉の中に毒素が入っているわけではなく花粉のエキスのなかにアレルギーを起こす、その植物の蛋白質が入っているのであります。この反応をNoonは花粉の毒素に対する『原因不明な過敏性』(idiosyncrasy)と定義して、毒素に対して免疫をつくることによって症状を抑えることが出来るという考えを発表した。
呼び名の変遷
 Noonはこの注射を予防注射(Prophylactic innorculation)と呼んだ(1911)。彼は結核を患っていてその後2・3年で死去したが、彼の友人のFreemanがこれを受け継いで、予防注射についてVaccinationという言葉を使った(1914)。その後、1910年代後半にはこの動きが米国にも伝わり、Coocke RJははじめは『脱感作』(Desensitization)、その後、1922にはHyposensitizationという言葉を使った。これが現在使われている『減感作』という言葉の最初であった。更に、1968年に至り、ジョンズホプキンズ大学のNorman P.S.は免疫療法(Inmunotherapy)と呼んだ。また、1997年1月にスイスのジュネーヴで世界保健機構(WHO)の‘アレルギーの治療に関する会議’があり、『アレルギー免疫療法』(Allergen immunotherapy)という言葉が使われ、エキスについてもワクチンと言れるようになった。
 日本で最初に減感作治療が行われたのは1958年で、それ以来、当時の治療法が殆ど改良されずに今日までそのまま行われている。呼び名まで古く、名にふさわしい、幼稚なママゴトのような治療が現在でも行われているのが実態です。
アレルギー反応とその原因の探求
そもそもアレルギーとは何かということについて、語源はギリシャ語でAllos(違う)とErgon(エネルギー・反応)=違った反応、=つまり、‘普通の人とは違った反応をする’ということであります.。
嘗て、なぜ違った反応をするのかが分からなかっ時代を経て、1921年に、ドイツでクュスナー(魚にアレルギーがある)とプラウスニッツ(魚にアレルギーがない)という二人がこの違った反応を起こす何かが人の血液の中にあるのではないかと考え、ある実験をした。クュスナーの血清をプラウスニッツの皮膚の表面に注射し24時間後にその注射した箇所に魚のエキスを注射したところアレルギー反応ができた。このことはアレルギーのある人の血清のなかにアレルギー反応を起こす異常な物質があるという一つの証拠になった。しかし、それが何であるかはその後40年以上にわたりわからなかった。
免疫グロブリンIgEの発見とその働き
@免疫学は1950年以降急速に進歩したが、1966年に至り、石坂公成博士が当時知られていた免疫抗体IgG、IgA、IgM、IgDに加えて、免疫グロブリンIgEというアレルギー反応をおこす新しい抗体を発見した。IgEの量は免疫抗体の中で一番多いIgGの10万分の1しかなく当初はその存在を疑問視する動きもあったが、1967年にスエーデンで免疫グロブリンEを作つくる多発性骨髄腫が発見されてその存在が確認された。
以上から、IgEはアレルギーを起こす原因であるということがわかり、アレルギーになり
易い人はIgEという抗体を遺伝的にもつくり易い体質を持っているということが言える。       Aところが、スエーデンで多発性骨髄腫を研究していた研究者達がたまたまアフリカで回虫に感染している子供たちの血液中に通常の人の30倍ものIgEがあることを発見した。このことから、寄生虫に感染している人の場合にもIgEが寄生虫から身体を守る働きをしているのではないかと考えられた。この考えは今でも正しい。寄生虫が入ってくる身体の場所は身体の外表(皮膚、鼻の粘膜、呼吸気道、胃・腸など)ですから、IgEは寄生虫から身体を守る働きをするためにこれらの近くに分布しています。これらの外表近くにマスト細胞があり、其の細胞膜の外側にIgEが着いていて寄生虫を待ち構えている。マスト細胞の中には顆粒があって、そのなかにはヒスタミンその他のいろいろな化学物質が入っている。寄生虫が身体の外表を通って中に入ってくると、待ち構えていたIgEは寄生虫と反応してマスト細胞内の顆粒を放出する。放出された化学物質のうち、ヒスタミンは神経を刺激して痒みを惹き起こす。また血管を広げて血液の中の水分を血管からもれ易くする。そして血液中の白血球も出易くする。この白血球が侵入してきた寄生虫をやっつけるという仕組みだと考えられています。この仕組みは寄生虫を防御するためには有効であります。
Bアレルギー反応はアレルギー体質の人にとって、花粉その他が呼吸気道に達してそれらのたんぱく質が粘膜に吸収されると、吸収された花粉のたんぱく質がIgEと反応すると寄生虫侵入のときと同じようなことがおこる。すなわち顆粒が外に押し出されてその中からヒスタミンなどの化学物質が出てこのヒスタミンが粘膜にある神経を刺激して痒みを起こしたり、そこにある粘液腺の粘液分泌を亢進させる、したがって鼻水が出たり、血管を膨張させ、その結果、血液中の水分がもれ出てそこにたまればそこが腫れるので鼻づまりをおこすという花粉症の症状となる。同じようなことが気管支についても起こる。気管支に花粉やダニが付着すれば、ヒスタミンが出てその結果、粘膜から水分が出ればそれは痰になるし、粘膜を腫れさせるので空気の通りを悪くさせる結果、呼吸するたびにゼイゼイという喘鳴音が出たり、呼吸が苦しくなって典型的な喘息症状を起こすことになる。
減感作注射によるアレルギー症状の抑制の理論
@ 1970年代まで
減感作治療注射をする結果として、あらかじめ注射を受けた結果、もう一つの免疫グロブリン(IgG)ができて、この抗体は普段から血管から出て粘膜の組織をパトロールしている。もしも花粉を吸い込んで花粉のたんぱく質が粘膜から吸収されたときに、花粉のたんぱく質がマスト細胞のIgEと反応する前にIgGが結びついてIgEと反応することを妨害するのでヒスタミンを含んだ顆粒を出せというメッセージが出ない。そのためマスト細胞に変化が起きないため、アレルギー症状も喘息症状も起きないと考えられていた。これは現在でも理論として間違いではないが、今では更に進んだ説明が可能になっている。
A 現在の理論
そこで、何ゆえにIgEなるものがアレルギーを惹き起こし人間を苦しめているかというとについてでありますが、1996年から言われていることですが、いまだに、IgEは寄生虫から身体を守るためのものであるはずのものが、どういうわけか花粉なりダニなりを寄生虫と誤認して反応してしまうと考えられている。実際には、アレルギーにならない人がアレルギーにならないのは誤認することを防ぐ細胞があるからと考えられています。〔後述の質問3への回答中のTR細胞〕
国際会議(WHO)によって減感作療法はアレルギー症状を抑える唯一の根本治療と認められた
1997年ジュネーヴで開かれたWHOの国際会議では、減感作療法は完全に避けることができない花粉やダニに因るアレルギーを治す唯一の根本治療法であり、これに対して薬は、どんなに良く効く副腎皮質ホルモンのような薬でも身体から代謝されて出てしまえばその効き目はその時点でとまり、病状は良くなることはなく漸次悪化の一途を辿ることになるということが確認された。この会議には、日本からも、東大の伊藤孝治、熊本大の石川哮、両先生が出席した。しかし、日本ではその後も減感作療法は無視されて今日に至っている。
アレルギーの原因となる個々のアレルゲンを発見するには血液テストよりも皮膚テストがより有効且正確
@アレルギーの治療のために何が一番大事かということですが、結局何がそのアレルギー症状を起こしているかということです。それを見つけるためにはテストが必要です。1966年に、石坂先生が血液中にIgEという抗体があるので、例えばIgEはスギならスギ、ダニならダニに対して別々に血液から見つけることが出来ることを発見した訳ですが、実際には皮膚に直接テストする方がはるかに感度が高い。血液テストについては感度が低いので血液テストだけでアレルギーがあるとかないとか判断していると見逃す可能性がある。一番見逃し易いのがアレルギーになりたての人です。
A最近は喘息で死ぬ人は減っていると言われていたがこのところまた増えてきている。特に子供が喘息になる率は20年前の倍になっている。日本は少なくとも減感作治療に関しては劣等国であります。
BそもそもIgEは身体のどこで一番作られるかというと、扁桃腺とアデノイドであります。昔は良くないものとして切除していたが、免疫学の進歩とともに扁桃腺とアデノイドは免疫をつけるための細胞が発達するところだということが判りとらないほうがいいということで、以後切除しなくなった。
IgEの本来の目的-寄生虫から身体を守ること-からして身体の表面に近いところ、例えば皮膚のすぐ下とか呼吸器の粘膜の下のマスト細胞についている。生まれた子供のIgE抗体についてですが、IgG抗体は胎盤を通過できるので母親の免疫力が生まれた子供にも半年ぐらいは続くというのはこのためです。その後は自分で作らなければならなくなる。IgEという抗体は分子量が大きく胎盤を通らない。したがって赤子のIgEは赤子自身が作ることになる。2・3歳の子供でも喘息になるケースもあるが、この場合、花粉症というよりは家の中のホコリを吸っていることが原因でアレルギーになる。いづれにしても、IgEをつくり始めは皮膚の表面に近いマスト細胞の表面に着くので、血液の中にはぜんぜんたまってこない。何年か経ってその人の身体のマスト細胞の全部についてから、余分なIgEが血液の中にたまってくる訳です。それが何年かして血液中に十分な量がたまらないと血液検査しても反応が出ない。従って皮膚テストで明らかにダニにアレルギーがある人も血液テストで反応が出ない人はいくらでもいる。

日本のアレルギー医療体制の問題点
@日本のアレルギーの医師は皮膚テストをやらない。検査機関での血液テストの結果だけではアレルギーの原因アレルゲンを見逃す結果となっていると言わざるを得ない。もっとも困るのはその皮膚テスト用の液を日本では作っていないという点です。アレルギー学会が製薬会社にテスト用・治療用のエキスが必要なことを教えればいいわけですが、それもしない。実際に私が日本に帰ってきて、患者さんと接して殆どの人が血液テストはしても皮膚テストはしていないことを知って唖然としたのを記憶しています。さらに、日本にはテスト用(12種類)・治療用(4種類)ともに液が少なく、せっかくテストしてアレルゲンが確認できても治療液は現在ある4種類以外の場合治療できない。テスト代だけ払わされて治療してはもらえないというのが日本の現状です。この現状について、日本のアレルギー学会、アレルギーの教授、アレルギーの指導者、アレルギーの医者、だれも不思議にもなんとも思わないし、患者さんたちが困っていても自分たちには関係ないといった態度であります。特に治療用のダニエキスがないので、もし、ダニに反応が出た場合は厚生労働省公認のハウダストが使われている。ハウスダストにはダニが含まれていることが前提とされていますが、ダニが含まれていないハウスダストもあり、そのためにいくら注射しても効かないから減感作療法は効果ないと結論づけているのは不合理というべきです。50年前ならばこういうことも通用したが、1968年以降は日本の家のハウスダストの中味はダニだということはわかっています。
A日本以外の外国ではダニを純粋に培養し、単に培養するだけでなくて其の中でどういうたんぱく質がアレルギーを起こすうえで重要かということが判っていますから、それを取り出してそれがどれだけ入っているかということも含めて、いわゆる標準化-どれだけ有効か-ということを示す必要がある。日本のアレルギーの医者は50年前に始めたそのままのかたちで減感作治療を行って効かない効かないといっている。ダニが入っているかいないかもわからないハウスダストを使っているので減感作療法をやってもしょうがないと言っている。50年前のことを今でも世界中でやていると思っている。そのためにアップデートされた減感作療法を日本ではやらない。そのためにこの治療法が日本に普及しないのです。それは日本のアレルギーの指導者たちが海外の進取の医療技術に眼をつぶってWHOも認める唯一の根本治療法を推進しようとしないからです。結局、日本のアレルギーの専門医は減感作療法は効かないからという陳腐な固定観念にとらわれているのでやらない。そして他のアレルギー専門医でない医者と同じように薬の処方だけやっている。
Bもう一つ重要なことは花粉のエキスです。日本にはテスト用が12種類しかない。
これに対し、(日本で厚労省の許可を得て)日本アレルギー協会を通して入手可能な、米国政府食品・薬品局が承認した米国製の花粉だけでもテスト用・治療用ともに64種類の液があり、これらは日本においてもすべて厚生労働省の許可をとって入手可能ですから、本当にやる気があるなら、日本でも米国並みの減感作療法ができるのです。
米国から取り寄せた65種類のエキスでテストした結果、反応が上から多い順に20位までを示したなかで、一番多いのはダニですが、ダニは2種類あり日本ではそのうちの一つであるコナヒョウヒダニのエキスはあるが標準化されておらず、ただすり潰しただけでアレルギーを起こすのに重要なたんぱく質がはいっているとかどの程度の反応が起きるかのチェックもしていないエキスが厚労省によって承認されている。ないよりはいいとはいえるが。
C実際に、外来にみえた患者さんの中から無作為に100人選んだうち93人はダニにアレルギーがある。陽性の頻度の高い順に上位20位までのうち上位10位のなかでダニとカモガヤ以外にテストの液がないだけでなく、ダニとカモガヤを含めて治療液がまったくない。スギ花粉にアレルギーのある人の90%はカモガヤにもアレルギーがある。11位から20位までについてはテストできるのは、ヨモギとブタクサとオオアワガエリの3種類しかなく、そのうち治療液があって治療できるのはブタクサだけであります。ヒノキとかイネ科の草に反応を示す人は日本人の中に多いのに日本ではイネ科やヒノキの治療液はまったく作っていない。
D木の花粉も含めてこれらイネ科の花粉は同じ時期に飛び回っていますから、スギにアレルギーがあるからということでスギだけのエキスを注射しても、ヒノキとかそれ以外の木の花粉やイネ科にアレルギーがあると、患者の症状はちっとも良くならないということになる。このような状況の中で不勉強なアレルギーの医師たちは減感作療法は効かないといっているのはけしからんという他ないというべきです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

質問1今日の新聞によると、若い喘息患者は最近増えているとのことですが、大気汚染などは昔に比べれば改善してるので喘息が増えているのは室内のダニの問題で増えているのか、あるいは食物など他の何かが原因なのか先生のお考えを伺いたい。
病院で18歳以下の子供が喘息にかかっているとレントゲンを保健所に持っていき証明書を出せば医療費がただになるというのがある。大気汚染はいいわけないですが、医療費をただにするというような仕事を政治家がしているように見える。公害地域の人がすべて喘息になるわけではない。実際に公害喘息といわれる子供のアレルギーの本当の原因はダニアレルギーであります。公害そのものが喘息を起こしているのではなく、ダニが原因で喘息になっています。ところが日本にはダニの治療液がなく、治療するセンスのある医者もいない。ただなんとなくお金を出して自分たちの行き届かないところはうやむやにしている。たとえば、タバコを吸っている人すべてが喘息になるわけではない。喘息になる人の多くはアレルギーがあるからです。それと同様に公害を吸っている人すべてが喘息になるわけでなく、喘息になるのはアレルギーがある人だからです。そしてそのすべてがダニにアレルギーがあると言っても過言ではありません。日本でアレルゲンエキスを作っている唯一の会社はなぜダニエキスを作らないのか聞いた処、何億もかかるうえに作ってもだれも買って使わないと言っている。これにつき誰が悪いかといえば、日本のアレルギー学会がそういうもの使って治療すれば治るということを言わないからです。そういうことを教えないのです。あまり永い間教えなかったので教える人もいない。大学の先生も、アレルギー専門医という看板を掲げていてもやっていることはただ処方箋を書いているだけというのが実態です。この実態を学会でもアレルギーの擁護になると称しております。それで、今、私は『日本のアレルギー診療は50年遅れている』という本を書いていますが、日本としてこんなに惨めなことはないのに誰も気がついていない。国立相模原病院の秋山先生は何億(?)もの国民の血税の予算を使って日本のアレルギー研究の最大の政策責任者です。我々の税金を一番沢山使っているのはこの相模原病院の臨床研究センターではなでしょうか。理研にお金をあげて立派な基礎研究をやっている。基礎研究も結構ですが、何故に今すぐに人々の役に立つことをしないのか。(昨年10月に久我山アレルギー患者の会から代表者2名が減感作療法の普及を訴えて陳情したが体よく断られた。)喘息の原因は100%ダニアレルギーといって間違いない。ダニで減感作をやったらみんな良くなります。アレルギー学会の機関誌に数年前にある症例発表があった。子供が3年間に3回死にそうな発作を起こした症例を治療法の手本として掲載している。排便時に発作を起こるのを防ぐのは抗コリン剤(アセチルコリンというのは副交感神経を刺激するもの)、排便する時は腸を収縮することですから、腸を収縮するということは副交感神経の緊張が高まるということで、副交感神経の緊張が高まるということは気管支も収縮するので、発作が起こる結果になっている。この子供は5ヶ月間の入院中、排便の都度に病院のスタッフが付き添って、抗コリン剤の吸入(これは副交感神経の抑制剤で慢性気管支炎とか肺気腫の人に使われてはいる)させることによって、意識をなくすような発作を防いだとしているが、実際には治っていないのです。この子供は血液テストでヤケヒョウヒダニに重度のアレルギーがあるとされていますが、この症例を書いている人は日本小児アレルギー学会の理事長です。ダニにアレルギーがあると判っていて、減感作のことも、少なくともそれを避けるべきとも書いていない。あくまでも抗コリン剤を使って少なくとも致死的な発作から救った手柄話のように書いている。これは手柄話というよりまさに無知のさらけ出しと言っていいと思います。アレルギー学会も編集長も救いようもないといった状況です。皆さんに少しでも政治的力があったら何とかしてもらいたいです。あまりにも勉強しなさすぎる。外国のことを。これだけ-最新の正しい減感作療法-をやればどれだけ多くの子供たち、また大人の喘息患者を救えるか計り知れないと思います。アメリカでは普通にやっていることを日本では誰も知らない。私が声を大にして言ってもみんな知らん顔しているのが現実です。日本で減感作療法をやったことのある人は私のように年をとって昔減感作療法をやって効かなかったという経験だけが頭に残っていて、あんなものをやってもしょうがないと二言目には言う。私の言うことが信じられないのなら、実際に自分の患者にダニを使ってやってみてはと言っています。自分の患者がいかによくなるかがわかってもらえると思います。でも誰もやろうとしないのです。だからそれほど薬屋さんに興味があるのかなと言えます。やってみればこんなに効くものか、ということがわかります。減感作治療をやっていれば、小児喘息で学校を休むなどあり得ないし、入院するとか、ましてや死ぬなど考えられません。現実には小児喘息を含めて毎年何千人も喘息で死んでいます。あまりにも日本のアレルギー診療の不甲斐なさを感じます。佐藤氏や広瀬氏が陳情に行っても適当にあしらわれ、学会も厚労省も新聞社も相手にしてくれない。一時期、私のところにも取材にきて、1年に3回もTVに出たこともありますが、それは一時的なお祭りのような取材の仕方で広まるどころかそれっきりで終わっている。本日は私の言いたいことの十分の一も言えませんでしたので、私の本が出版されたらお読み戴ければ私が何を言いたいのか判っていただけることを期待いたしております。どうも御静聴有難うございました。
質問2 患者から一言
私は子供と共に先生のお世話になっている者ですが、私は子供のころから長年、喘息の発作に悩まされておりました。子供のころの記憶としては喘息の記憶しかないぐらいひどかったのです。大人になってからも治らなくて入院も長くしましたが、1993年になって先生の治療を受け、一ヶ月で治りました。ほんの一ヶ月です。夢みたいでした。それ以降、
13年間先生のお世話になっています。其の間、一回も発作が起きていないのです。それほど先生の減感作療法は効くのです。逆に先生にお目にかかってこの治療を受けなかったら、今頃死んでたかもしれない。まさに先生は私にとって命の恩人でございまして感謝の言葉もないくらいです。私の息子-小学校5年生-は喘息ではないですが、ちょっとアレルギーがあり、鼻水が出るとか、皮膚のアレルギーでした。昨年、先生のお世話になって半年、一年で鼻水がでなくなり、皮膚も良くなりました。これらの原因は花粉症かとまわりから言われていましたが、実はダニが原因でこういう症状が出るのではないかと私は思っています。ここにおられる先生の患者さんはみなそうだと思うんですが、先生には一年でも長く頑張っていただきたいと、心底から思っています。同時に、私たちのやるべき行動の論点が二つあると思います。一つは、製薬会社によるダニ、ダニを中心としたアレルゲンの開発、厚労省による認可、これを何とかしてもらうこと。もう一つは、減感作療法を一人でも多くのお医者さんに普及していただくこと。それを何とか、佐藤さん、広瀬さんと協力しながらやっていきたいと考えています。先生には一日も長く治療を続けて戴くことを祈念すると共に、我々も力を尽くして行きたい思いますのでよろしくお願いいたします。
質問3 一度治っても治療を続けるのが必要か、それとも、治って終わったらもう何もしないでいいのか。それと遺伝的な要素があるのか、その辺をお伺いします。
最近、わかったことですが、アレルギー体質に対して正常な体質の人はアレルギー反応を監視してそれをおさえる細胞が十分にあるということがいえます。TR細胞(regulatory T-cell)といっています。アレルギー体質の人にはこの細胞が十分でないためアレルギー反応が起きやすいということになります。減感作療法はこの細胞を増やすのに役立っています。
1970年代までは、IgGという阻止抗体(blocking antibody)が最も大事だと考えられていました。この考え方は賞味期限を持ったたんぱく質であるIgGが身体を守るのですから、その賞味期限と共にIgGも期限を持つと言うことになる。しかし、たとえばハシカに一度かかると二度と麻疹にはかからない。これはハシカのウィルスが身体からなくなった訳ではない。身体に潜伏していて常に身体の免疫性を刺激している。同じように生きているヴィールスで予防注射した場合にはそのヴィールスが一生身体の中に生きているので免疫力が保たれて、二度とハシカにはかからないということになります。ところがジフテリアの毒素を注射しても免疫を維持するのはたんぱく質の抗体ですから、期限がくれば免疫力を失う。従って、アレルギー反応についてIgGだけが阻止力を担保しているならば期限の到来と共にそれを失うことになる。
ところが、ここ数年来、免疫反応を監視する細胞(TR細胞)があるということが分かり、ことに減感作療法をやることによってそういう細胞が増えて来ることが分かった。アレルギー反応をコントロールするこの細胞が何年と言う単位で生きて、しかもそれは子孫を残すことも出来るし、たんぱく質とは違ってはるかに寿命が長い細胞と言われています。減感作注射により実際にアレルギーをコントロールする細胞が出来るという可能性が非常に強い。そして沢山注射をすればするほど其の細胞が増える。かなり長く注射を続けてやめた患者の中には10年、15年経っても平常生活をしている人が多くいることをアメリカでの経験からも言えます。
 遺伝については、その人のDNAによってどういうたんぱく質をその人の敵と看做すかで決まります。たとえば、昔、結核になる人で一番治りにくいのは結核菌に反応しない人でした。結局、結核菌を自分の敵と見なし得ない人はその見えない結核菌にやられてしまう。アレルギーの場合も、スギの花粉をアレルギーの原因と見えなければ、IgEも出来ない。アレルギーを起こさないようにする細胞が沢山増えるような遺伝子があればいいわけですが、しかし、いろいろなアレルギーを起こす原因や色々な感染をおこす原因も別ですから、そこまではゆかず、要は、アレルギー反応が行過ぎないように抑えてくれる細胞が増えるということが一番大事だと言えます。
以上
posted by AS at 18:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新旧環境大臣への資料提出

日本のアレルギー医療改革のために以下の資料を纏め長屋宏医師に託すことと致しましたので報告いたします。

1. 厚労省への陳情
   19.2.6陳情した際に使用した資料
    →日本のアレルギー医療の実態を改革するよう求めたが、医療改革に対する当事者意識を疑わせるような態度で、厚労省の反応は今日に至るまでなく、一昨年に続く2度目の陳情であったにも拘らず無視されております。
2. 長屋式アレルギー免疫療法の真髄
   長屋宏医師の治療法について、現在日本で一般に行われている治療法とアメリカで行われている治療法と対比して患者の立場ら分析を試みた。
3. 現在の日本のアレルギー学界のリーダーであるといわれる秋山一男博士(国立相模原病院臨床研究センター)への陳情議事録(長屋宏医師のコメント付)
→この資料により長屋宏医師の治療法と現在の日本医学界のアレルギー医療に対する考え方の違いが浮き彫りにされています。
4. 長屋宏先生講演議事録
   長屋先生の治療法の科学的・理論的根拠と現在の日本に於けるアレルギ    
   ー診療の問題点を分析しています。

                             以上

                   久我山アレルギー患者の会
                         発起人 as
posted by AS at 18:11| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。